2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

めづらし、ふしぎ

昨日のつづき。商館長アルメナウルトが麦水の俳句に、「めづらし、ふしぎ」という意味のオランダ語を唐草模様に書き添えたということですが、このオランダ語の原語は何だったのか。蘭癖大名奥平昌高が刊行した日蘭辞書『蘭語訳撰』(文化7年、1810)を引く…

豚名月 風雅と洋学

昨日は加賀藩蘭学者鹿田文平の遺品である、絵師庫敬の一番丸図について書きました。その図には、文平の漢詩のほかに、大聖寺藩儒東方真平の漢詩と金沢の俳人直山大夢の句があることも紹介しました。大夢の句とは、此わたりを自由に行かひ宝の船をたくめるも…

一番丸のこと 風雅と洋学

勤務先の京都大学人間・環境学研究科では、昨年京都市、長浜市と連携交流協定を締結しました。その成果のひとつとして、一昨日、3月23日、長浜市に「風雅のまちづくり長浜研究所」を開設しました。この開所式に参加し、昨日は学部の卒業式でしたので、日…

蘭学研究に便利な蘭仏辞書

蘭学研究をオランダ語知識なしで行うことは、阿蘭陀通詞や蘭学者の伝記研究ならば、ある程度できるでしょう。しかし、彼らの業績の内容を調査し、文化交流史あるい文明交流史のなかに位置づける作業をしようとすれば、オランダ語知識は不可欠です。もちろん…

やせ細った蘭書

やせ細った蘭書―ゴットフリート『史的年代記』のこと― 江戸時代における西暦の知識は、キリシタン弾圧によって一旦途絶えたあと、十八世紀後半に蘭学が勃興するにおよんで、阿蘭陀通詞や蘭学者、さらには国学者の間に広まりました。当時、西暦ひいては西洋史…

ファン・デ・スタット『日蘭辞典』/江戸ハルマonline

當山さんのブログhttp://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/03/12/4171074 へのコメントで、出張先のため辞書が手元になく、正確ではありませんが、ファンデスタット編『日蘭辞典』(台北、1930?)がありますね。南洋庁の出版だったと思います。 と書いたこ…

森島中良の子供

桂川甫粲(かつらがわ・ほさん、1756?-1810)、のち甫斎、通称森島中良は『紅毛雑話』(1787)、『万国新話』(1789)、『類聚紅毛語訳』(蛮語箋、1798)などの啓蒙的な著作で知られる天明・寛政期の蘭学者です。同時に戯作者でもあり、また中国の口語(白話)…

写す文化(2)

中江兆民の師、細川潤次郎(号十洲、1834-1923)は明治政府の法制、文教政策に深く関わった土佐藩出身の洋学者です。関東大震災でその蔵書が焼失したため、細川の伝記資料はあまり残っておりません。『十洲全集』附録に「細川十洲翁略伝」(奥宮正治撰)があ…

写す文化

江戸時代舶載蘭書、オランダ語の写本、蘭書からの翻訳(写本、刊本)、伝記・個人資料など、蘭学資料の書誌的な調査研究を長年行っています。書誌的な調査研究といっても、一般の方にはどんな研究なのか分からないかもしれません。蘭書を実際に手にとって、…

catechismusの訳語(2)

17〜18世紀のオランダ語にはフランス語からの借用語が多く、学術書、教科書にはラテン語の術語が頻繁に出てきます。こうした借用語や術語は蘭学者を困らせました。頼みのハルマやマーリンの辞典には見出し語として出ていませんから。catechismusはむしろ…

catechismusの訳語

2009-03-09大槻玄沢のオランウータン説 http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090309/1236619173に関して、一言付け加えたく思います。玄沢が参照したマルチネト『究理問答』の原書タイトル、Catechismus der natuurのことです。玄沢はこれをマルチネトの(実は、…

西洋流砲術という口実

蘭学はそのルーツが長崎にありました。江戸時代、開国以前のいわゆる鎖国時代にあっては、オランダ語知識と最新の世界情報、西洋科学知識を得ようとすれば、どんな口実をつけてでも、長崎に留学し、阿蘭陀通詞とコネをつくることが一番の近道でした。阿蘭陀…

前野良沢資料集 第一巻

ちょうど1年前、大分県先哲叢書の一冊として、『前野良沢資料集 第一巻』(大分県立先哲史料館編集、大分県教育委員会発行)が出ました。昨年は大分県教育界が教員採用不正事件をめぐって大揺れに揺れ、マスコミによって連日、全国にそのスキャンダルが報道…

『新体皇国史』における洋学(3)

洋学は「第十四章 文教の発達」において「洋学の発達」の項で記述されています。この章の構成をみますと最初に「文教の復興」があり、ついで「教育機関」(幕学、藩学、私塾、寺子屋、心学」、「洋学の発達」が来ます。そのあと「文学」(上方文学、江戸文学…

『新体皇国史』における洋学(2)

この教科書全17章の章題は以下の通りです。各章には皇国史観の特徴を示す小見出しが見られます。それらを( )のなかに抜き出してみましょう。第一章 肇国と国体の精華 (天地開闢 天孫降臨 三種の神器 天壌無窮の神勅 肇国の宏遠 世界無比の国体 現御神 …

『新体皇国史』における洋学(1)

板沢武雄著『新体皇国史』(新制版、中学校上級用、昭和16年9月20日修正四版、中等学校教科書株式会社)を古書店より入手しました。この教科書における著者の肩書きは「東京帝国大学教授 文学士」となっています。奥付によれば、この教科書の初版は昭和…

大槻玄沢のオランウータン説、その典拠について(反省の弁)

江戸時代に舶載された珍獣としては、ダチョウ、ゾウ、オランウータン、ラクダが有名です。こうした珍獣は見せ物に連れ回されたり、絵師の恰好の題材になったりしました。阿蘭陀通詞や蘭学者はオランダ語の博物学書や百科事典から、こうした珍獣に関する博物…

小城出身 納富介次郎

『大隈伯昔日譚』の著者、円城寺清(明治3〜41)が佐賀県小城出身であることに気がつきませんでした。幕末小城藩の洋学資料は佐賀大学附属図書館の小城文庫に残っておりますので、多少調査したことがあります。その際、小城まで足を伸ばし、小城の町を散…

機関リポジトリー

二、三年前になりましょうか、図書館関係者から、はじめてリポジトリーというカタカナ語を耳にしたとき、私はThe Chinese Repositoryのことかと思いましたが、どうもそうではないらしい。昨年には、アンケートが回ってきて、所属部局の定期刊行物や研究会の…

日本研究のかげり、その対策

本日3月6日付け朝日新聞夕刊にて、「論説員員室から 日本研究のかげり」との二段記事を読みました。国際日本文化研究センター(略称、日文研)所長の「をちこち」(国際交流基金刊)寄稿記事(今、読む暇はありませんが)を紹介しつつ、欧米に於ける日本研…

Google Book Searchからの引用

今年も自分の専門に隣接する分野の修士論文や課程博士論文の副査をいくつか頼まれました。その中に、日本では閲覧不可能と思われる19世紀前半の英文雑誌を写真入りで引用している論文がありました。写真が妙に不鮮明ですので、学生にどこで閲覧したのか尋…

G.A.W. Thienemannのリーディンガー作品目録

江戸時代洋風画の開拓者若杉五十八(1759-1805)がドイツの銅版動物画家ヨハン・エリアス・リーディンガー(1698-1767)の作品を利用したことはよく知られています。アウクスブルク美術アカデミー院長でもあったこの版画家の作品は通常、ティーネマンの目録番号…

大隈伯昔日譚の初版と初出

初版と再版 国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに『大隈伯昔日譚』初版(明治28年6月15日、立憲改進党々報局発行)があることに気付きました。電子画像のままでは、手にとって読むような感覚にはとてもなれません。プリントする余裕もないので、…

採長補短(2)

『大隈伯昔日譚』第二章「進歩主義と保守主義の消長」にも洋学導入の原理としての採長補短が繰り返し現れます。すこし長くなりますが、引き続き引用します。19世紀後半の日本において、採長補短が文明移入の原理であるばかりでなく、尊王攘夷、富国強兵、…

採長補短 文明移入の原理

昨秋、旅先の古道具屋で『大隈伯昔日譚』(円城寺 清著、再版、大正3年刊)を安価で購入しました。その第一章「少壮時代の経歴及佐賀藩の事情」を読んで、採長補短が幕末における西洋文明移入の論理であることを再認識しました。藤田東湖の尊王攘夷、佐久間…

日本全国を挙げて西洋学に(福沢諭吉)

東京国立博物館で開催中の「未来をひらく福沢諭吉展」(3月8日まで)をまだ見る暇がありません。この展示のテーマに関連して、諭吉が西洋学に日本の未来を託した一文を思い出しました。「明治十八年四月四日梅里杉田成卿先生ノ祭典ニ付演説」(梅里餘稿、…