大隈伯昔日譚の初版と初出

初版と再版
国立国会図書館近代デジタルライブラリーに『大隈伯昔日譚』初版(明治28年6月15日、立憲改進党々報局発行)があることに気付きました。電子画像のままでは、手にとって読むような感覚にはとてもなれません。プリントする余裕もないので、画面を送りながら手元の再版(大正3年、新潮社)と見比べると、傍点などの約物や組み版上の異同を除けば、全20章の本文は基本的に同じとみてよいでしょう。

初版には口絵に大礼服姿の大隈重信の肖像写真があり、ついで副島種臣、島田三郎、学堂居士(尾崎行雄)の序文、犬養毅の著者円城寺清宛の書簡のあとに著者の自序が来ます。再版の方は、口絵に「維新当時の大隈伯」と題する下駄履きに大小を差した紋付き袴姿の写真。初版の序文、書簡は消え、自序と「再版に当りて著者に代り」と題する著者の実弟円城寺艮の前書きがあります。

再版の奥付は「著作者 円城寺 清」としていますが、初版の奥付には「編輯者 円城寺 清」とあります。初版、再版に共通の「自序」には、第一章は斎藤新一郎氏の手に成り、第二章より第六章までの五章は故矢部新作氏の執筆に係る」との説明があります。しかし、初版の内扉には「円城寺 清執筆/大隈伯昔日譚 全/立憲改進党々報局」とあります。


初出
このように錯綜しているのは、もともと『大隈伯昔日譚』は郵便報知新聞に明治26年4月1日から連載された聞書であり、その筆録者は確かに円城寺清でありましたが、「一巻の書と為すに当り、大に改竄添削を加へ」た(初版および再版の自序)というわけです。郵便報知新聞連載分を拾い読みしただけですので、この改竄添削の全体像を知るわけにはいきませんが、書物にする際、章別に編輯し直し、新聞連載の文中の「大隈伯」を自伝風に一人称(余)に書き換えたことが一番大きな違いでしょう。

「採長補短」の説として先に掲げた最初の引用文は郵便報知新聞の明治26年4月2日の「大隈伯昔日譚」では、次のようになっています(原文は総ルビですが、ルビを省略して引用します)。

多少海外の事情を知ると同時に、其人の脳中に起りたるは欧米諸国は兵備戦法器械化学等の点に於ては、大に我より優る所ありと云へる思想なり、藩主閑叟公の如きは夙に此思想を懐き、彼が長を採て我が短を補はんと欲するの志ありき、故に他藩に率先して蘭学寮を設け、有志の士をして蘭学を講ぜしめたり、
左なきだに学制の束縛に不平を懐ける人々は、蘭学を修め欧米の地理形勢及び学芸の一班を窺ふに及んで、愈々厳重なる規律の下に窮屈なる朱子派の学問を修むるを不可とし、藩の学制に反抗するの心を増せり