藤塚知明誕生地、雄勝町大須浜再訪

東北関東大震災で壊滅的被害を受けた雄勝町をこの夏、やっと再訪することが出来た。目的は、藤塚知明の誕生地、大須浜の庚申塚が無事であるか、確かめることだった。

2003年1月11日に訪ねたとき、その表面に
「天地同根万物一体 大性院
庚申塚
元文五庚申五月廿一日 龍沢八世無外和□□□  (連名 18名)」

の文字が判読出来た。元文3年にこの浜の漁師喜惣治の子として生まれた知明(幼名、子之助)は少年時代にこの庚申塚の周りで遊んだことだろう。そして、沖合にはロシアの黒船が現れたことだろう。

この8月24日、仙台駅10:47発の石巻駅行き宮交バスに乗車。石巻駅前では音楽祭が開かれていた。石巻駅前12:11発の飯野川行きバスに乗り、飯野川から個人タクシー。途中、大川小学校跡を経て、原野と化した雄勝町を通過し、13:30やっと大須浜に到着。

さっそく、庚申塚に向かった。「象頭山」「大須防波堤竣功記念」いずれの石碑も無事だった。「象頭山」の大石碑の足元の草むらをかき分け、2003年正月と同じ位置に庚申塚を確認できた。

だが、表面に彫られた文字はほとんど全部消滅していた。大津波が削り取ってしまったらしい。左右の下部に文字らしきものが、ごくわずかに見える。連名の一部らしいが判読は困難だ。

岡の上の「老人憩いの家」前の顕彰碑「神道興隆 藤塚知明先生誕生之地」は,全く無事だった。

庚申塚の消滅した文字は残念ながら二度と戻らないが、石だけはいつまでもあの浜に残って欲しい。

そう思いながら、浜を後にした。待っていた個人タクシー運転手のおかげで、追波川(おっぱがわ)運動公園バス停まで道を急ぎ、そこから15:47発仙台駅行きの東日本急行バスに乗ることが出来た。

本木家文書の万国図説

 長崎文化博物館の本木家文書は阿蘭陀通詞本木良永・正栄父子の遺した通詞蘭学資料の宝庫である。そのなかの写本「万国図説」の典拠について、新しい知見をえたと思う。すでに先達によって指摘がなされていれば不明を恥じるしかない。
 「万国図説」(題簽による。内題は万国地理図説、4巻1冊)は序跋、編者名を欠いており、成立時期も不明である。神戸市立博物館の特別展図録『日蘭交流のかけ橋』(1998)の出品目録・解説では、「本木良永訳 酉6月(安永6年)」とし、「本書は、安永6〜7年(1777-78)に林子平(1738-93)が、長崎に2度目の遊学したおり、本木良永を尋ねて手書きした『輿地国名訳』の原本と考えられる」との記述がある(同書211頁)。
 しかし、「酉6月(安永6年)」の典拠は不明である。おそらく、林子平『輿地国名訳』末尾に「安永六年丁酉得之和蘭象胥本木栄之進崎陽館内書写」とある記載と関連があるかもしれない。また、実際に『輿地国名訳』記載の国名と「万国図説」の国名とを照合してみたところ、『輿地国名訳』の原本とするほどの一致はみられない。
 内題に「万国地理図説」とあること、また本文の各所に貼り込まれた付箋にオランダ語地理書を参照した形跡があることから、オランダ語地理書からの翻訳と仮定して、種々の蘭書を調べたが、ついに典拠の蘭書は見つからなかった。
 思い直して艾儒略『職方外記』(1623)と照合したところ、「万国図説」は、『職方外記』巻1〜巻4の翻訳であることが分かった。分かってみれば簡単なことだが、蘭書からの翻訳という思い込みが災いした形だ。
 「万国図説」の筆跡はすくなくとも二人の手が認められる。成立時期と訳者については、安永年間に松村元綱と本木良永が協力して翻訳した可能性が高い。紙数の多い方の手は良永の自筆と認められる。両者が「万国図説」翻訳の際に参照した蘭書の調査、訳文(読み下し文)の検討、「万国図説」の影響については今後の課題だ。

勉誠出版『キリシタン版日葡辞書カラー影印版』

勉誠出版キリシタン版日葡辞書カラー影印版』(2013年1月20日刊行)が届いた。オックスフォード大学ボードレイ文庫本Bodleian Library,[Arch.B.d13]の原色・原寸大複製だ。鮮明な印刷には満足。日葡辞書の門外漢には大変ありがたい。

専門家向きの影印版であれば、解題に原本の書誌的記述があってしかるべきと思うのは、私だけではないだろう。思い切って購入したのに、期待はずれであった。末尾に原本テキストの200%拡大版4ページ分が掲げられているだけに、キリシタン版印刷史の専門家による解説が欲しかった。高精細デジタル画像によるとはいえ、料紙の紙質、風合いは分からない。フォリエーションのアラビア数字の組み方が微妙に異なるのが面白かった。天地逆になっているところがあるはずだと丁を繰っていった。案の定、95.とあるべきところが65.となっていた。

さっそく『邦訳日葡辞書』(土井忠生・森田武・長南実編訳、岩波書店)とパジェス日仏辞典(一誠堂書店、1953)を取り出して、あちこち見比べて楽しんだ。

fol.176 recto (363ページ)の右下余白のペン書きが目に入る。Nanban.Minamino yebisu.項目への書き込みである。書き込みの最後に、nan,sul.ban,barbaros.(ナンは南、バンは野蛮)と書かれているが、そのあとの語句が読めない。同じボードレイ文庫本を底本にした『邦訳日葡辞書』の該当項目には、

nan,sul.ban,barbaros・・・(以下不明)

とあり、解読を試みる。不明部分は最初barbarosの同義語であるgrosseiro(卑俗、下品)の書き誤りかと疑ったが、日本人の手ではなさそうなので書き誤りとは言えないと思い、あれこれ思案。結局、分かってみれば何のことはない。gocu,reino(ゴクは国)と書かれているのだ。つまり、本文中のNanbangocu.(南蛮国)への注解であった。もっとも、この部分は専門家がすでに解読しており、門外漢の独りよがりかもしれない。

オランダ通詞中山家の洋印

ずいぶん以前、十年ほど前だったか、古渡りの蘭文兵書、ヤン・ヘンドリック・ファン・キンスベルヘン(1735-1819)の『海軍士官提要』Jan Hendrik Kinsbergen, Zeemans hand-boek. Amsterdam, 1782.を調査する機会があった。著者は第4次英蘭戦争の際、ドッガーバンクの海戦(1781)で勲功を立て、ドッガーバンク伯の称号を与えられたオランダ共和国の海将である。その古渡り本には表紙も背表紙もなく、裏表紙だけが残り、綴じ糸のバンドがむき出しになっている。標題紙に「横」字の円形印、「靄隅文庫」「横地氏珍蔵記」の蔵書印が捺されていた。標題紙によれば、

Tweede Deel Vyfde Stuk Van Het Zeemans-Handboek, Handelende Over De Practicale Scheeps-artillerie. (...) Amsterdam, Gerard Hulst van Keulen, 1782. 2de dr.

すなわち、同書の第2巻第5篇『実践海軍砲術提要』である。この第5篇は標題紙、著者前書き(pp. V-XVI) および本文274 ppからなるが、第6篇「実証的火器論」Traktaat der vuurwerken beproevd. Amsterdam, Gerard Hulst van Keulen, 1790. 72 pp.と合綴された八折り判(203x127mm)の端本である。
本文には諸処に赤通しがあり、通読のあとが歴然としている。第5篇本文の第1頁および巻末第6篇の最終頁のキュ・ド・ランプ(cul-de-lampe)に接する位置に、薄い青色の円形印(直径21mm)が捺されている。印文はNKiM=Aを組み合わせたモノグラムとなっており、NAKAiAMAすなわちナカヤマ(中山)と読める。
この円形印に最初に注目した研究者は岩崎克己であった。戦前、困難な状況にもかかわらず、舶載蘭書の書誌調査をすすめた岩崎は水戸彰考館所蔵『オランダ東インド領学校用オランダ語文法初歩』Eerste Beginselen der Nederduitsche Spraakkunst, ter Dienste der Scholen in Nederlandsch Oost-Indie. Samarang, bij Oliphant en Comp. 1844.にこの円形印を認めたものの、「' Nakajama 'を意味するか。但し確信は無い」と述べるのみであった(岩崎克己『彰考館文庫蘭書目録』昭和14年、私家版、No. 186)。
この印の主をはじめて特定したのは勝俣銓吉郎であった。曰く、「家蔵の所謂林子平本ショメールにはNKMAといふ円形の印章が青肉で捺してある。この印は寛政九年の年紀を明記した「阿蘭陀流膏薬之書といふ巻物伝授書によって、和蘭大通詞中山武成の印だといふことが判った」という(勝俣銓吉郎「蘭学者の参考書」、学鐙46号、昭和17年8月)。ここに云う「林子平本ショメール」は勝俣によれば「A-D(1768) とE-H(1769)の二冊」であるので、ショメル『日用百科事典』早稲田大学図書館洋学文庫所蔵勝俣本[8_c1108]に該当すると思われる(筆者未見)。岩崎が円形印を認めた水戸彰考館本は1844年刊行であるので、この円形印は中山武成(作三郎、1751-1816)だけではなく、その子武徳(得十郎のち作三郎、1785-1844)、さらにはその子孫まで使用されたようだ。
 これまで調査できたこの円形印をもつ蘭書には、上記「靄隅文庫」の蘭文兵書以外につぎのものがある。
1. Sewel, Willem : A Large Dictionary English and Dutch, in two Parts. The First Part. / Groot woordenboek der Engelsche en Nederduitsche taalen. Eerste Deel. Amsterdam, de Weduwe van Steven Swart, 1708. セウェル『英蘭辞典』。羊皮装丁の美本(210x170mm)。円形印は薄青ではなく黒印。真田宝物館、旧松代藩蔵書。
2. Id. : Groot woordenboek der Nederduitsche en Engelsche taalen. Het tweede deel. Amsterdam, de Weduwe van Steven Swart, 1708. セウェル『蘭英辞典』。円形印は同上。真田宝物館旧松代藩蔵書。
3. Astronomische oefening, verhandelende de beginselen der sterreloopkunde. Tweede druk. Amsteldam, d’Erven van F. Houttuyn, 1779. 2 vols. 『天文学入門』。第2冊 pp. 164-203に赤通し多し。福井県立大野高等学校、旧大野藩蔵書[蘭書16]。
4. Les tablettes guerrieres, ou cartes choisies pour la commodité des officiers et des voyageurs, contenant toutes les cartes générales du monde. Amsterdam, Daniel de la Feuille, 1708.
『軍用世界地図手帳』。縦190mm、横75mmの手帳型地図帳。京都大学附属図書館、新宮凉庭旧蔵書[V-2-T4]。背は羊皮装丁。表紙は墨流し模様の和紙を使用。折り込み地図全27図のすべてに薄青の円形印あり。折り目の裏打ち和紙にもときに円形印が捺されている。
5. Pitiscus, A. Samuel : Lexicon latino-belgicum novum. Rotterdam, 1754.
ピティスクス『羅蘭辞典』。金沢大学医学図書館蔵書[892P1]。標題紙に円形印(朱印)が捺されているが、削り取られており、予備知識がなければ判読不能に近い。
蘭書以外にも、NKiM=Aの円形印のある眼鏡絵8枚を先年、調べる機会を得た。それぞれ裏側には円形印が捺され、「一 おらむた国の内ゑんきほいせんといふみなとの図」などと和文の題が墨書されている。「十五 おらんた国の内しきだむみなとの図」には、「Wm Wardenaar」のペン書きサインと「いれむわるでなる」の墨書もみられ、中山武成が商館長ウィレム・ワルデナール(1800.7.16〜1803.11.14在職)から入手した形跡と思われる。墨書された番号のうち一番大きいものは「十九 おらむた国城あむすてるたむ河口石橋の図」であり、おそらく当時、多数の眼鏡絵が一括、中山家の所蔵となったらしい。この眼鏡絵の詳細については別に機会を得て、紹介したい。
18年ほど前、「洋学資料展 江戸期における翻訳の世界」(京都大学附属図書館、平成4年12月1日〜12月9日)を開催したとき、上記の新宮本『軍用世界地図手帳』を展示したことが契機となり、天理図書館司書の神崎順一氏から、同館所蔵のブラウ世界図模写図にNKiM=Aの円形印があるとの情報を資料とともにいただいたことがあった。同図書館の展示図録『古地図の中の日本』では、掲載写真から蔵書印の部分がカットされてしまったということだった。
以上の紹介した蘭書、眼鏡絵、地図は水戸彰考館所蔵『オランダ東インド領学校用オランダ語文法初歩』を除いて、すべて中山武成の蔵書と推定される。武成の『新増万国地名考』(安永8年)と天理図書館所蔵ブラウ世界図模写図とは密接な関係があるはずである。
これまでの舶載蘭書調査記録を全部見返す余裕はないので、中山家の洋印のある蘭書をまだ見落としている可能性がある。今後とも気をつけて中山家旧蔵蘭書リストを増補したい。

さて、キンスベルヘン『実践海軍砲術提要』に捺された「靄隅文庫」「横地氏珍蔵記」の蔵書印は山口高等商業学校の校長を長く務めた横地石太郎のものである。横地は漱石の小説『坊っちゃん』の赤シャツ先生のモデルとして知られる。万延元年(1860)金沢の士族に生まれ、明治17年(1884)に東京大学理学部化学科(応用化学)を卒業。京都府尋常中学教諭、造士館教授(1890))、愛媛尋常中学教頭(1894)をへて、山口高商教授(1900)、同校長となった。山口高商での校長在職は1907-1908, 1911-1924の14年半に及んだ。
この蘭文兵書と一緒に、明治11年(1875)に東京大学で出版された英文教科書、チンダル『自然の成り立ち・科学的唯物論』も手に取ることが出来た。標題紙は以下の通り。
The Constitution of Nature. / Scientific Materialism. / By / John Tyndall. / (From Fragments of Science) / Tokio: / Published by the Department of Literature / in / Tokio Daigaku. / 2538.
(2), 37, (1) pp. (200x132mm)
印記:「東京大学法理文学部図書」「十一ノ一 第三十号」「東京大学法理文学部払下之印」「「靄隅文庫」「横地蔵書」「横地氏審定図書」
すなわち、John Tyndall, Fragments of science for unscientific people: A series of detached essays, lectures, and reviews. New York, D. Appleton and Company, 1871. からの抜粋である。この教科書には「I. Yokoji [o]f Tokio-Daigaku」とのペン書きサイン、「明治廿一年十一月十六日ヨリ始ム 十二月七日終ル I. YOKOJI.」の鉛筆書きがある。学生時代に教科書の払い下げを受けたものらしい。本文には鉛筆で英文の語釈が書き入れられ、赤通しも見える。横地の京都府尋常中学時代の書き入れらしい。裏表紙の見返しには、生徒らしい四人の苗字(橋口、千頭、西之原、永山)と点数が書き込まれている。裏表紙の見返しにはまた、次のように英書名もペン書きされている。
Spencer – Representative Government.
Spencer – Phylosophy of Style.
Tyndall – Belfast Address.
Johnson –History of Rasselas.
Macaulay –Milton.
Malcolm – Clive.
Tyndall – The Constitution of Nature.
〃  – Scientific Materialism.
Macaulay – Warren Hastings.
Shakespeare – Marchant of Venice.
いずれも東京大学文学部(the Department of Literature in Tokio Daigaku)で出版された英文教科書と思われる。たとえば、「Malcolm – Clive.」は著者とタイトルを混同しているが、T. B. Macauley, Sir John Malcolm′s Life of Lord Clive. Department of Literature in Tokio Daigaku, 1879.であろう。
板沢武雄『日本とオランダ』(第2版、昭和37)の「江戸ハルマ」の版種を説明した記事のなかに、「横地石太郎氏所蔵の零本」(140頁)が紹介してある。幸運なことに、数年前、古書入札市でこの「零本」に遭遇した。『ハルマ和解』初版の書き入れ本で、jk項目の1冊である。見出し語は木活字印刷、訳語は初版の書き入れをさらに増補している。「市川氏印」、「ISIKAWA. DATBOEKTOEBHOORDER」の印文をもつ円印に加えて、「靄隅文庫」「横地氏珍蔵記」「横地氏審定図書」の印記が認められた。円周に印字された蘭文は「dat boek toebehoorder」と分析できるが文法的に不正確である。「本書の所有者」のつもりで書いたのであろう。
横地は古典籍の収集に熱心であったらしい。ネット検索によって以下の旧蔵書がわかる。
山口大学附属図書館貴重書の朝鮮刊本『読書続録』(明薛瑄撰、成化元年、1465刊、山口高商旧蔵)にはやはり「靄隅文庫」の朱印が捺されている(山口大学附属図書館HP掲載画像による)。横地が京都の古書店から購入したものという。画像で「寄贈者」印をみると、「横地石太郎」が昭和10年に寄贈していることがわかる。
五山版の心空『法華経音訓』(至徳3年刊の後印、ブランゲ文庫所蔵、「靄隅文庫」「横地氏珍蔵記」)や『源氏物語』青表紙本系統の写本2種(いずれも「靄隅文庫」「横地氏珍蔵記」印あり)も伝存するらしい。
また、早稲田大学図書館洋学文庫の勝俣銓吉郎旧蔵本『和蘭字彙』(文庫08_c1020)にも「靄隅文庫」「横地氏珍蔵記」が認められる(同図書館古典籍電子版による)。
京都大学附属図書館谷村文庫にも、加藤弘蔵『交易問答』(明治2年、東京谷山楼蔵板、「靄隅文庫」「横地氏審定図書」印)および『高野大師行状図絵』(「靄隅文庫」「横地氏珍蔵記」印)がある。

最後に、キンスベルヘン『実践海軍砲術提要』にもどれば、その多数の赤通しから判断して、本書はおそらく中山武成によって十分に研究されたと思われる。翻訳、あるいは引用がなされたかどうか、未詳である。今後の調査を待ちたい。本書の出版者Gerard Hulst van Keulenは航海地図、測量機器の製作、海事関係図書の出版で名高く、その出版物のひとつ、コルネリス・ダウウェス『オクタント用法記』Cornelis Douwes, Beschryvinge van het octant den deszelfs gebruik. Amsterdam, Gerard Hulst van Keulen, 1749.は阿蘭陀通詞本木良永によって『象限儀用法』と題して翻訳された。これについては中村士(なかむら・つこう)氏の論文「天文方の光学研究」(天文月報98-5、2005年5月)がある。また、クラース・ド・フリース『航海宝函』Klaas de Vries, Schat-kamer ofte kunst der stuurlieden. Amsterdam, Gerard Hulst van Keulen, 1781.も舶載され、大きな影響を与えている。

東北関東大震災被災地の洋学資料(下)釜石市鉄の歴史館の大島高任旧蔵蘭書

2003年10月2日、岩手大学工学部小野寺英輝先生の案内で、釜石市立「鉄の歴史館」において、以下の大島高任(1826-1901)旧蔵蘭書5点を調査できた。

今回、釜石市市街地は大地震のために壊滅的な被害を受けた。小野寺先生は3月18日に現地入りし、「鉄の歴史館」から釜石駅へ向かう途中の無残な町の姿を写真で送って下さった。

先日、JR釜石駅前広場の清掃作業をテレビのニュースでみて少しは安心したが、高台にある「鉄の歴史館」の被災状況についてはまだ分からない。


1.ヘルドル『算術基礎』 [B-16-2]
Gelder, Jacob de :
Allereerste gronden der cijferkunst, eerste[-tweedel deel. Bevattende de verklaring van het tientallige stelsel van tellen, het betoog der vier grondregels, de behandeling
der gewone en tiendeelige breuken; en bijzonderlijk de opgave en de verklaring van
het nieuw ingevoerde stelsel van maten en gewigten; alles toegepast op voorbeelden,
genomen uit het dagelijksche leven, den koophandel, de kunsten en wetenschappen;
en opzettelijk ingerigt naar de behoefte van den tegenwoordigen tijd; opgesteld, ten
gebruike der scholen en kollegiën, door Jacob de Gelder, hoogleeraar te Leijden. Zesde
druk. Naar den vijfden druk, inzonderheid in alles, wat het cijferwerk betreft, onder
goedkeuring van den schrijver, van overgeblevene fouten gezuiverd, door J.S. Speijer,
onderwijzer in de wiskunde.
Te 's Gravenhage en Amsterdam, bij de Gebroeders van Cleef. 1847. 2 vols in 1. XXIV, 176, (3), (1 blank); XII, 228 pp. (184x118mm)

Bound with
Ramakers, G. :
Antwoorden op de rekenkundige vragen, voorkomende in de allereerste gronden der
cijferkunst, door Jacob de Gelder, in leven hoogleeraar te Leiden. Uitgewerkt door G.
Ramakers. Herzien naar den sesden druk der cijferkunst door J. S. Speijer.
In 's Gravenhage en te Amsterdam, bij de Gebroeders van Cleef. 1849. (4), 91, 1 blank) pp.

略標題紙に「長崎東衙官許」印6略標題紙裏に「海防書籍廼印」。標題紙に「漱芳堂蔵」印(陰刻)


2. マーリン『初修フランス語教本』 [B-16-3]
Marin, Pieter :
Méthode familière pour ceux qui commencent à s'exercer dans la langue rançaise. Gemeenzame leerwijze voor degenen, die zich in de Fransche taal beginnen te oefenen. Door P. Marin, laatstelijk nagezien door D. Bomhoff, hz. Negende verbeterde druk.
Arnhem, P. A. De Jong. 1851. 133, (2), (1 blank) pp. (169x108mm)

標題紙に朱印「蕃書調所」。巻末に書店刊行書目あり。最終葉の裏に「蕃書調所」印および「安政丁巳」印。


3.マルチン『明解オランダ語辞典』 [B-16-1]
Martin, H. :
Beredeneerd Nederduitsch woordenboek verrijkt met 1°. Met een aantal woorden, welke in andere hedendaagsche woordenboeken niet te vinden zijn; 2°. Met de opgave van geslacht en vorming des meervouds der zelfstandige naamwoorden; 3°. Met de
vervoeging van al de werkwoorden; 4°. Met de eigenlijke en oneigenlijke beteekenissen der woorden, door voorbeelden gestaafd; 5°. En met eene verzameling van regtsgeleerde en andere termen. Voorafgegaan door eene spraakleer en gevolgd door eene verzameling der meest in gebruik zijnde Nederduitsche synonymen. Door H. Martin, Jr. Vernieuwde uitgave.
Te Amsterdam, bij H. Moolenijzer, Jzoon, Kloveniersburgwal, bij de Hoogstraat, N°. 87. n.d. (4), XIII-XX, 904, 44 pp. (174x124mm)

よく使用。標題紙に「漱芳堂蔵」印(陰刻)および丸印(黒、印文未詳)あり。標題紙にフランドル語擁護運動指導者J.F.Willems(1793・1846)の次の仏文を引用。

Aujourd'hui même, les autels de cette belle langue ne sont pas bandonnés; lls ne manquent pas d'encens. Elle vit encore dans la poésie de Tollens, de Feith, de van Hall, de Loots, de Hulster des deux Klijn et des deux Bilderdijk, ainsi que dans la prose, de Siegenbeek, de Stuart et de l’inimitable van der Palm! J. F. Willems.


4.ショル『蒸気機関技師提要』 [A2-47]
Scholl, E.F. :
De gids voor machinisten in fabrieken, bij droogmakerijen, op spoorwegen en
stoombooten. Tevens geschikt tot leiddraad voor fabriekanten en civiel-ingenieurs. Vrij naar de vierde, veel verbeterde Hoogduitsche uitgave van E.F. Scholl, der Führer des machinisten, door G. Kuijper, Hz., luitenant-ingenieur. Met negentien uitslaande planten.
Te Amsterdam, Bij C. L. Brinkman. 1858. XV, (1), 414, (1), (1 blank) pp. 19 folding plates. (239x152mm)

見返しに墨書「千八百五十六年式機関学全一冊ソッル氏」。遊紙に朱印「奥御蔵書」およ
び黒印(印文未詳)。


5. ファン・トリヒト、ウォルテルソム共編『純粋・応用化学事典』 [A2-47]
Tricht, J.P.C. van & J.J. Woltersom :
Woordenboek der zuivere en toegepaste scheikunde, bewerkt door J. P. C. van Tricht, Apotheker en Dr. J. J. Woltersom. Met platen. Eerste[-Vierde] deel.
Rotterdam, H. Nijgh. Leyden, De Breuk & Smits. 1856[-1859]. 4(of 13) vols.
1ste deel. VIII, 800 pp.
2de deel. VI, 1), 1 blank), 801-1600 pp. 5 folding plates(I-V).
3de deel. (1), (1 blank), XI, (1 blank), 1601-2400 pp. 7 folding plates(VI-XII).
4de deel. XI, (1 blank), (1), (1 blank), 2401-3200 pp. 6 folding plates(XIII-XVIII).

全13巻のうち第1巻より第4巻のみ存。
第1冊:
剥奪した背表紙裏に、エンゼル模様の漆塗り和紙を使用。このエンゼル模様は『舎密便覧』(河野禎造訳、安政6年、江戸刊)の折帖の浮き出し模様と同一である。本書が江戸で改装されたことを物語る。本書は『舎密便覧』の校閲と刻版を担当した宇田川興斎との関連があるかもしれない。見返しに墨書「千八百五十六年式分析韻類全四冊内ア之部 原名ハン、トリクト及ウヲルテルソム」。見返し及び標題紙裏に朱印「奥御蔵書」。
第2冊:
見返しに墨書「千八百五十六年式 分析韻類全四冊内自ア至べ 原名ハン、トリクト及ウヲルテルソム」。見返し及び標題瓶裏に朱印「奥御蔵書」。
第3冊:
見返しに墨書「千八百五十七年式 分析韻類全四冊内自べ至セ 原名ハン、トリクト」。遊紙及び標題紙裏に朱印「奥御蔵書」。本冊より標題紙に掲載の編者はJ.P.C.Tricht
のみ。Brood(パン)項目p.1802およびp.1705(=1805)に不審紙、p.1806に小紙片挿入。
Campher(樟脳)項目p.1998に小紙片挿入。
第4冊:
見返しに墨書「千八百五十九年式 分析韻類全四冊内自セ至ゲ 原名ハン、トリクト」。遊紙に朱印「奥御蔵書」。

また、「鉄の歴史館」では、蘭書のほかに下記の英書も閲覧することが出来た。これらに蔵書印はない。

Riddle, J.E., The Young Scholar’s English-Latin and Latin-English Dictionary. New Edition, London, Longmans, Green, and Co. 1866.

Yonge, C.D., An English-Greek Lexicon, Abridged from the Larger Work. New Edition, London, Longmans, Green, and Co. 1872.

Walker’s Pronouncing Dictionary of the English Language, adapted to the Present State of Literature and Science. By B.H. Smart. Seventh Edition, London, 1865.


おわりに

上掲書『純粋・応用化学事典』の編者トリヒトJ.P.C.Trichtと幕末1853年から1857年まで出島のオランダ商館付き外科医であったファン・デン・ブルックJan Karel van den Broek (1814-1865)との関係にすこし触れておきたい。

ファン・デン・ブルックは来日以前、オランダのドイツ国境に近いアーネムArnhemで、民間の教育団体「アーネム理学協会」Het Natuurkundig Genootschap tot Nut en Vergenoegenの幹部として、トリヒトとともに市民対象の理科教育を実践しており、それらの教育経験をもとに、長崎で河野禎造をはじめ各藩の青年たちに理化学の基礎を教授したのである。この協会の活動および機関誌『理学雑誌』Natuurkunde. Tijdschrift, inhoudende; phijsica, chemie, pharmacie, natuurlijke histori en litteratuur. Arnhem, J.G. Stenfert Kroese, 1844-については別に述べる。

なお、2002年3月にアーネム市立図書館にてファン・デン・ブルック資料(現在ではマイクロフィッシュ版が市販されているが)を同図書館の特別の許可を得て調査した際、蘭日辞典稿本のひとつ(MS280)に挿入された和紙の紙片には「生葡萄ヨリ酒石酸製法 河野禎造 Kono Theso」と墨書されており、師弟関係をしめす当時の資料として貴重である。
参照「海外調査報告書」、2003年7月4日、「江戸のモノづくり」研究者集会配付資料。

東北関東大震災被災地の洋学資料(中)藤塚知明の誕生地雄勝町大須浜

(上)池田文庫洋書管見 補遺
14bis.  Templeton, William, Werktuigkundig handboek; bevattende parktische regels en tafels, toepasselijk op land- boot- en locomotief- stoomwerktuigen. Vertaald door F.G. Wente uit het Engelsch. Amsterdam, C.L. Brinkman, 1852.
標題紙欠落。上記の標題は他の書誌データから同定した。皮の背表紙に「Templeton / Werktuigk. / Handboek」との印字、本文最終ページp. 174に「蕃書調所」印あり。裏見返しの遊紙に「This book Belongs to Kunishito Tagushi」「S. Kusakabe」「This book belongs to T. Hoshi」との書き入れあり。本書は熊本大学図書館(未確認)、東北大学附属図書館狩野文庫(VIII,B 1065)にも所蔵。英語原書はTempleton, W. The Engineer’s Common-Place Book of Practical Reference, consisting of Practical Rules and Tables adapted to Land, Marine, and Locomotive Steam-Engines. Third Edition. London, 1851.であろう。

2003年1月11日(土)早朝、5:37大谷(おおや)海岸発の前谷地(まえやち)経由女川(めのかわ)行き列車に乗り、7:40石巻着。駅に隣接する食堂で朝食(ワカメうどんとかきあげ)をとる。9:05発の宮城交通バス、船越行きに乗車。尾浦(おうら)、御前(おんまえ)、指浜(さしはま)、大磯、波板(なみいた、雄勝湾が見え始める)、分浜(わけはま)、水浜、船戸(伊達の黒船造船の地)、上雄勝をへて、10:41雄勝車庫着。そこからタクシーにて大須浜に到着。あらかじめ連絡をとった地元の山下老人の出迎えを受けた。

まず、大須浜の魚港から太平洋の大海原をしばらくながめ続けた。海防論の先駆者林子平の同志でありパトロンであった塩釜神社祠官藤塚知明は、元文3年(1738)、この地、桃生郡大須浜の漁師喜惣治の子として生まれた。幼名子之助。少年のながめた海にはロシアの黒船が出没していたはずである。正月のおだやかな海を背にすると、漁民の航海安全を祈るかのように「象頭山」と大字を彫り込んだ石碑が聳えていた。そのわきにある庚申塚の石は表面の文字がすり切れている。

「天地同根万物一体 大性院
庚申塚
元文五庚申五月廿一日 龍沢八世無外和□□□  (連名 18名)」

とかろうじて判読できた。子之助少年もこの庚申塚のまわりで遊んだに違いない。林子平とは同年生まれである。仙台の魚問屋永野屋で奉公。主人利右衛門は暦数天文に詳しく、天文観測を行い藩から咎められほどだった。英才ぶりを認められ、塩釜神社社家藤塚知直の養子となる。通称式部、号塩亭。知直、知明父子ともに崎門派の神道学者吉見幸和に学ぶ。

知明はその蔵書印の印文「万国一地球王只在日本」に明かなように日本中心主義を唱え、子平の長崎行きを支援し海外情報をあつめた。子平の『海国兵談』出版(寛政3年)を援助。子平はこの海防論で唐山(漢民族)、韃靼(満州族)が「妙法」(キリスト教)の信徒となって日本を侵略する危険を訴え警鐘を鳴らす。それは「鹽竃大神の託宣」であった。知明は北辺の守護神塩土翁が塩釜神社主祭神であると主張し、寛政10年神仏混淆を排撃する過激な行動(仏舎利事件)に出て、流刑の身となった。

庚申塚の近くには、「大須防波堤竣功記念 大正十三年一月十六日着工 同年六月三十日竣功」の記念碑も目に入った。山下老人の案内で、坂をあがり藤塚知明の石碑に向かう。途中、民家の表札で「雄勝町大字大須大須 三」という住所を確認。山下老人の案内で岡の上にたどりつくと、「老人憩いの家」前の広場にある大きな石碑の文字が目に入った。

神道興隆 藤塚知明先生誕生之地」

周囲に鎖をめぐらせた台座の上に、高さ2メートル、幅1.5メートルの石碑が聳えていた(脇に「避難場所」の看板が見えた。今回の大津波はあの避難場所まで達したのだろうか)。山下老人によると、昭和10年9月十五浜村青年団(団長:山下松四郎)によって稲井石で建碑されたものが、事故により破壊されたため、竹下内閣時代に雄勝町への補助(ふるさと創生事業か)によって再建されたものという。この土地の地名は、桃生郡大須浜から桃生郡十五浜村大須(明治22)に、さらに桃生郡雄勝町大須(昭和16)と変遷し、平成17年の合併(2005年4月1日)で石巻市雄勝町大須となっている。

「誕生之地」碑の正面左脇にある黒御影石の「顕彰記念碑」碑文を以下に掲げる。

「藤塚式部知明先生顕彰記念碑
先生は元文三大須浜の漁家に生れ幼名を子之助と称す,幼くして両親を失い齢十一歳にして仙台魚商永野屋に丁稚奉公す、刻苦勉励向学心に燃え独学を以て漢書を解読し学者小僧の評あり、塩釜神社祠官藤塚式部知直その天稟を認め請ふて養子と為す、後に名を知明と改め更に学究研鑽を積み遂に一代の学者となり多くの著書を世に送り二代式部祠官を継承す、先生大いに神威を輝かし国典に力を注ぎ皇道恢弘に努む、又寛政の志士蒲生君平高山彦九郎林子平と親交を重ね、特に子平とは刎頸の交りを結びその快著海国兵談三国通覧の完成に寄与する事大なりと謂う、先生は常に神道の興隆と皇国の大義を高唱する余り極端に仏教を排斥し偶々仏舎利事件連座の由を以って桃生郡梅の木瀬上家に幽閉さるる寛政十二年七月三日没す、享年六十三歳、塩釜上野山に眠る。先生は謫居生活三年の無聊を慰め寓居の机を削り次の辞世を遺す、先生逝て已に百九十余年、茲に郷土が生んだ偉人の遺徳を顕彰し永く後昆に伝ふ。
    謫居思不禁 雲路逐飛禽
    仰惟祈天定 碧翁知赤心
 東の空往く月の惜けくも
ながめなほりそ故郷思ふも
   平成二年六月吉祥日
     勳四等功八級 元雄勝町長 阿部徳治郎 撰文 」

 この謫居の五絶と歌を彫り込んだ木製の粗末な文机は、藤塚家より塩釜神社博物館に寄託されているものをかつて同博物館調査のおりに拝見した。

3月25日の朝日新聞朝刊に、震災をうけた「石巻市雄勝町」の記事が掲載された。それによれば、雄勝町は人口4300人、高齢化率40%。国内シェアの大半を占める雄勝硯の産地。ホタテ、カキ、ワカメの養殖、天然のアワビ、ウニで生計を立てる。雄勝湾を20?の波が襲い、高台にある市の雄勝総合支所も津波に見舞われた。町内で唯一、大きな被害をまぬがれた集落、大須地区は住民約300人、大須小学校は全員無事、とある。

元文5年の「庚申塚」碑、「象頭山」碑(建碑の時期は不明)、大正13年の「大須防波堤竣功記念」、そして「神道興隆 藤塚知明先生誕生之地」碑と「藤塚式部知明先生顕彰記念碑」は現在、どうなっているのだろうか。

 知明は安永9年(1780)塩釜神社裏坂の鳥居前に私設文庫「名山蔵」を立てた。筆者はまだその跡地をたずねること機会をえないが、池田菊左衛門が編集した『明治五年学制頒布五十年・宮城県図書館創立四十年記念誌』(大正11)の口絵写真には、日本初の公共図書館とされる「青柳文庫」(天保2年1831設置)の建物の写真とともに、礎石のみ残る「名山蔵」跡地の写真が掲載されている。寛政10年に知明が流刑に処せされたあと間もなく、子平の友人工藤球卿の娘只野真葛は「名山蔵」を訪ねた。その折りのことを真葛は語る。「この式部といふ人は、ざえすぐれて古き物をめでつつ世に珍らかなるかぎり求め出でて人にも見せなどせしを、今はよこざまの罪にあたりて流されけり」「その人のもてなしけん俤さへ推量られて、いと哀に胸つぶ\/となるここちす」(「鹽竃まうで」)

<名山蔵文庫の洋学資料>
名山蔵文庫の蔵書内容ついては、知明の四男東郷が享和2年に編集した「名山蔵書目録」(宮城県図書館小西文庫)によって大方知ることができる。これまでに筆者が調査できた名山蔵文庫の洋学資料は以下の通りである。
仙台市博物館所蔵分:
 1. 河口信任「解屍篇」 写 子平の兄友諒が明和9(1772)年、知明へ謄写贈呈。 
2.「坤輿外記」南懐仁著 写(「丙申秋日書於長崎旅館」)安永5(1776)
 3.「輿地国名訳」(「安永六年丁酉得之和蘭象胥本木栄之進崎陽館内書写」)写
 4.「地図略説(和蘭地理書セヲカラーヒー)」本木良永訳 写 (「安永戊戌夏得于佐崎能助於肥前鎮台館内書」)安永7(1778)
 5.「利瑪竇撰 坤輿図説」写 知明自筆
 6.「西洋奇図」(F. Valentyn, Oud en Nieuw Oost-Indien, Dordrecht, Amsterdam, 1724-1726.、「ケレイキスブック」W. Dilichius, Kriegsbuch. Franckfurt am Mayn, 1689.からの図版抄写)
 7.「和蘭本草抜翆」(ヨンストン『禽獣譜』、A. パレ『全集』蘭訳から抄写)
 8.「紅毛禽獣図略」 (プリニウス『五巻本博物誌』から抄写)
 9.「東航和蘭海路記」写 松村元綱訳
 10.司馬江漢筆「蘭画」
 11. 出島蘭館倉庫再建記念銘文拓本(1755)、オランダのローソク、カルタ、キセル
宮城県図書館小西文庫所蔵分:「奇器図説」

寛政3年に子平が名山蔵から借覧した艾儒略「職方外記」は所在が不明である。子平旧蔵の「職方外記」写本は仙台市博物館所蔵となっている。

東北関東大震災被災地の洋学資料(上) 池田文庫洋書管見


このたびの東北関東大震災の被災地のうち、気仙沼市本吉町大谷と石巻市雄勝町大須および釜石市は8年前の2003年に調査した地域である。いずれも甚大な被害をこうむり、亡くなられた方々の無念を思うと胸が痛む。冥福を祈るばかりである。当時調査した資料が無事であったかどうか、確かな情報を知る手立てはまだない。今は当時の記録を取りだし、まとめておくことにする。

本吉町平成の大合併で平成21年(2009)年9月1日より気仙沼市本吉町となったが、当時は本吉郡本吉町であった。本吉町立図書館大谷分館の池田文庫を訪ねたのは2003年1月9日、10日の二日間であった。1月11日には林子平の同志でありパトロンであった藤塚知明生誕の地、雄勝町大須浜を訪ねた。釜石市「鉄の歴史館」で大島高任(1826-1901)旧蔵蘭書を調査したのは2003年10月2日であった。

調査ノートによると、1月8日伊丹18:35発、仙台空港19:45着の空路で仙台入りして1泊。翌朝仙台8:51発南三陸1号で大谷海岸駅に10:41に到着した。「池田文庫」のある大谷公民館は駅から徒歩15分。海岸沿いの国道から山手へ、農協わき上った丘の上にあった。大谷小学校のグランド端に位置していた。

池田文庫は英学史・蘭学史の優れた研究者であった池田哲郎(1902-1985)の旧蔵書からなる。『池田文庫図書目録』(昭和58、本吉町立図書館)の前書きによれば、東京在住であった池田は父の出身地である本吉町へ蔵書の寄贈を申し出て、昭和53年8月から送本を開始し、父の生誕110年を記念して、昭和57年(1982)9月10日に本吉町に正式に寄贈したものである。池田は目録刊行後も送本を続けた。

池田の履歴と業績については、『−追悼池田哲郎先生−池田哲郎先生年譜・研究業績一覧他』(日本英学史学会、「英学史研究」第18号別刷、1985年11月1日刊)に詳しいが、その研究方法は全国各地に伝わる幕末明治前期の洋書を調査し、その書誌データをもとに地域の英学史、蘭学史を構成するものであった。池田が雑誌「日新医学」に連載した「日本見在蘭書目録」(1956-1963)はのべ2890点の蘭書を収録しており、今日でもなお必見の文献である。

池田菊左衛門は明治5年大谷村大朴木に生まれ、明治27年宮城県師範学校を卒業。広島、静岡の師範学校教諭をへて大正9年宮城県の初代社会教育課長に就任している。大正10年5月、宮城県図書館長となり、『明治五年学制頒布五十年・宮城県図書館創立四十年記念誌』を編集刊行した(大正11年9月)。池田文庫所蔵のこの記念誌は池田菊左衛門の書き入れのある手沢本であり、編者の社会教育、図書館事業に対する熱情を伝えている。子の池田哲郎も蔵書を大谷に贈ることによって、父の遺志を継ごうとしたかもしれない。

池田文庫の蔵書数は、上記の『池田文庫目録』によれば、一般図書(単行本)12500点、和綴図書370点(892冊)、雑誌(研究資料も含む)12053点をとなっている。その後、2008年6月時点の集計で、一般図書15580冊、雑誌14622冊、和綴図書963冊、洋書4248冊、その他(パンフレット、メモなど)3024冊となっている(「元教授の蔵書もっと活用を」、三陸河北新報社、ニュースファイル、2008.6.24.による)。

筆者が調査したのは2003年正月であり、こうした整理がなされる以前の状態であった。調査には当時仙台在住の中村博武氏(現在プール学院大学短期大学部教授)が参加して下さった。池田文庫は大谷公民館の「大谷文庫」の看板をかかげた別室書庫にあり、書庫内はスライド式三重の木製書架に一般図書を排架し、書庫内奥の間に未整理本・雑誌類(図書ラベルはなく、大まかな分類別に箱詰め)をダンボール数十箱に積み上げてあった。司書の山口和江さんが『池田文庫目録』によらない一般図書の電算入力を担当されていた。

未整理本を二日間でというわけで、1日目は書架の奥に排架された洋書中1880年代以前のものを中心に、2日目は和綴図書(ダンボール11箱)を調査した。我々洋学史研究者にとって、池田文庫最大の魅力は、幕末明治初期の歴史教科書が和書、洋書ともに豊富である点にある。

欧米の史書が多いのは、池田が東北帝国大学法文学部(昭和3年卒業)で西洋史、大学院(昭和11年満期5カ年終了)でアメリカ史を専攻したためであろう。戦後の英学史・蘭学史研究の歩みをたどるための研究史資料が揃っていることも貴重である。

 ここでは、管見に入った1880年代以前刊行の洋書を中心に、8年前の記録をたよりに掲げておく。配列はおおよそ刊行年順とした。未整理本であったので多巻ものについては、端本、揃い本の確認は不十分のままである。
 

1.Voltaire, The History of Charles XII. King of Sweden. By Mr. De Voltaire. Translated from the French. The Third Edition. London, C. Davis, A Lyon, 1732.

2.Raynal, Abbé, A philosophical and political history of the settlements and trade of the Europeans itn the East and West Indies. Newly translated from the French, By J.O. Justamond. London, W. Strahan, T. Cadell, 1783. 8 vols.

3.Robertson, William, The History of America. The Eleventh Edition. In Four Volumes. London, 1808. 4 vols.

4.Fox, Charles James, A History of the Early Part of the Reign of James the Second Reign of James the Second. London, William Miller, 1808.

5.Botta, Charles, History of the War of the Independence of the United States of America. Translated from the Italian, By George Alexander Otis. Philadelphial; Printed for the Translator. 1820. 3 vols.

6.Wilson, James, A Journal of Two Successive Tours upon the Continent, in the Years 1816, 1817, & 1818. In three Volumes. Vol. I. London, T. Cadell and W. Davies; Edingburgh, W. Mackwood, 1820.

7.Prior, James, Memoir of the Life and Character of the Right Hon. Edmund Burk. London, Baldwin, Cradock, and Joy, 1824.

8.Campe, Histoire et découvertes de l’Amérique, et voyages des premiers navigateurs au Nouveau-Monde. Traduits de l’allemand de Campe; précédés d’une notice biographique sur Campe, par Mr. de Larenaudière, l’un des collaborateurs de la Biographie Universelle. Paris, F. Denn, 1827.

9.Worsley, Israel, A View of the American Indians. Their General Characters, Custums, Language, Public Festivals, Religious Rites, and Traditions. Shewing them to be the Descendants of the Ten Tribes of Israel.
London, Printed for the Author, and sold by R. Hunter, 1828.

10. Wilson, Richard, A System of Plane and Spherical Trigonometry; to which is added a Treatise on Logarithms. Cambridge, J. & J.J. Deighton, T. Stevenson, and R. Newby; London, Whittaker, Treacher and Co., 1831.
標題紙の蔵書印未詳。p. [v], Prefaceの余白に典拠の一つ、Poinsot’s Sections Angulairesについて、「”Recherches sur l’Analyse des Sections Angulaires.” Paris, 1825.」との書き入れあり。

11. Mittford, William, The History of Greece. In Ten Volumes. London, T. Cadell; Edinburgh, W. Blackwood. 1835. 10 vols.

12. Waylen, Edward, Ecclesiastical Reminiscences of the United States. New York, Wiley and Putnam, 1846.
遊紙裏に「John K. Ochiai W.T.S. Chicago 1897」とのペン書き、および「明治四拾二年七月三十日落合吉之助氏より寄贈」との墨書、標題紙に「仙台基督教青年会印」あり。のちに聖公会神学院第二代院長となった落合吉之助(1870-1942)は明治26年(1893)にシカゴの西部神学校(W.T.S. : the Western Theological Seminary)に入学、明治31年(1898)に卒業。翌年帰国。東京聖三一神学校教授をへて、明治35年〜40年まで仙台基督教会に勤め、仙台YMCAの創設(明治38年6月)に深く関わった。
鵜川馨「神学者の軌跡−落合吉之助博士−」参照。

13. Merivale, Charles, A History of the Romans under the Empire. London, Longman, Brown, Green and Longmans, 1850. Vol. I.


14. Bomhoff, Dirk, English and Dutch Dictionary.
標題紙欠落のため、版種不明(1851年刊か)。幕末古渡り本。

15. Alison, Bart, Archibald, History of Europe from the Commencement of the French Revolution in MDCCLXXXIX to the Restoration of the Bourbon in MDCCCXV. Ninth Edition. Edinburgh, London, William Blackwood and Sons, 1853. 13 vols.

16. Lewis, Georg Cornewall, An Inquiry into the Credibility of the Early Roman History. In two Volumes. Vol. I. London, John W. Parker and Son, 1855.

17. Witt, Cornelis de, Histoire de Washington et de la foundation de la République des Etats-Unis. Précédée d’une etude historique sur Washington par M. Guizot. Nouvelle edition. Paris, Didier, 1859.

18. Taylor, W.C., History of France and Normandy, from the earliest times to the Year 1860. Thirty first American, from the authorized English edition. Philadelphia, Charles Desilver, etc. 18**(?).
刊行年未確認。Pinnock’s School Seriesの一冊。

19. Froude, James Anthony, History of England from the Fall of Wolsey to the Death of Elizabeth. The Third Edition, Revised. London, Parker, Son, and Bourn, 1862.

20.Catalogue of the Natural History Library of the Linnean Society of London. Part I. Separate Works and Papers arranged under the Names of Authors. London, 1866.

21. Taylor, W.C., A Manual of Ancient and Modern History. 11th ed. New York, D. Appleton, 1867.
遊紙表に「上原馬太蔵本」の墨書あり。遊紙裏の剥落した蔵書印の印文を「熊本県上原方立」と鉛筆でなぞる。裏表紙の遊紙に「肥后八代之人大坂嶌内協会故牧師上原方立君之有 十七年十二月一日 以金七拾五銭購」との墨書あり。

22. Parker, Richard Green, Outlines of General History, in the Form of Question and Answer : Designed as the Foundation and the Review of a Course of Historical Reading. A New Edition, with Additions. New York, Harper & Brothers, 1868.
見返しの貼紙に「第二百九十九号 パークル氏 一般歴史」の墨書。遊紙に「外国/本屋/薬種屋/道具屋/横浜本町通/八十四番/ハルトリー/并ニ江戸大坂/商売仕候」印、「ハルトリー/大坂/十□番」印。標題紙に「阪府洋学校印」および「第三高等学校□□之□」(消却印)あり。阪府洋学校は明治2年9月大阪に設置された文系の中等教育機関で、同年5月に設置された舎密局とならんで、第三高等中学(のちの第三高等学校)のルーツにあたる。

23. Ozaneaux, M.G., Histoire de France. Cinquième édition. Tome second. Paris, Charles Delagrave, 1869.
見返しに「第一高等中学/図書番号 No. 11」のラベル、遊紙に「明治二十七年八月二十二日寺町二條上ル 書肆ニテ求之 代二十五銭 喜多村重孝」とのペン字書き入れ。略標題紙に「東京法学校図書之印」「明治九年三月改書」印、および「No 1571」の朱書。標題紙に「東京大学予備門図書」「司法省図書記」印あり。p. [V]に「(第)一高(等)中学(校)図書」の割り印あり。裏表紙の遊紙に「京都梅原書店」印。内容は16〜19世紀のフランス史概説。

24. Guizot, General History of Civilization in Europe, from the Fall of the Roman Empire to the French Revolution. Ninth American, from the Second English Edition. With Occasional Notes, by C.S. Henry. New York, D. Appleton & Co., 1869.
遊紙に「ハルトリー/大坂/十六番」印、「Sept. 25. 1900. H. Yui」とのペン書き。標題紙に「学校係印」の印(「消」の墨書付)、「第五号」の墨書、「S.S.Library」の印あり。巻末書店広告の最終ページに「三十一年四月三十日」印、裏見返し遊紙に「Suzuki」との墨書あり。
「学校係印」は明治3年11月開校し、同5年8月に金沢中学となった「金沢学校」の蔵書印であり、「金沢学校」加賀藩明倫堂の後身である。『金沢泉丘高等学校蔵書善本解題目録』(昭和56)「序説」(山森青硯)の「七 蔵書印について」および蔵書印図版の影印第12番参照。

25. Mitchell’s New School Geography. Philadelphia, Published By E. H. Butler. n.d. [1870?]
標題紙欠落。刊行年未確認。

26. Worcester, Joseph E., Dictionary of the English Language. Boston, Brewer and Tilleston, 1871.

27. Patton, J. Harris, The History of the United States of America, from the Discovery of the Continent to the Close of the Thirty-Sixth Congress. New York, D. Appleton and Company, 1871.

28. Erckmann-Chatrian, Histoire du plébiscite racontée par un des 7,500,00 oui. Onzième edition. Paris, J. Hetzel, 1872.

29. Grote, George, A History of Greece, from the Earliest Period to the Close of the Generation Contemporary with Alexander the Great. 4th ed. in ten volumes. Vol. I. London, John Murray, 1872.

30. Froude, James Anthony, The English in Ireland in the Eighteenth Century. In Three Volumes. Vol. I. London, Longmans, Green, and Co., 1872. 3 vols.

31. Macauley, Lord, The History of England from the Accession of James the Second. A New Edition in Two Volumes. London, Longmans, Green, Reader, & Dyer, 1877.

32. Duyckinck, Evert Augustus, Lives and Portraits of the Presidents of the United States. New York, Johnson, Wilson & Company. n.d.

33. Ducoudray, Gustave, Histoire contemporaine depuis 1789 jusqu’à nos jours. Neuvième édition. Paris, Hachette, s.d.

34. Parley, Peter, Universal history, on the basis of geography. For the use of families, public and private schools. With numerous maps, corrected to date, by E.R.G. Twenty-first edition. London, William Tegg, n.d.
「斎藤」印、「O. Saito」「Sendai Nippon」の鉛筆書き入れあり。

35. Havard, Henry, Histoire de la peinture hollandaise. Nouvelle édition. Paris, Alcide Picard, s.d.
「Bibliothèque Alliance Française Chang-Haï」印あり。

36. Mitford, A.B., Geschichte von Sakura Sogoro. Aus dem Englischen übersetzt von G.J. Kohl. Mit Illustrationen. Tokio, Verlag von S. Kato, 1884.
奥付に「明治十七年九月三日出版御届 同年同月 出版」「出版人 開新堂 加藤鎮吉」とあり。

37. Shiga, Shigetaka, History of Nations, Specially Adapted for Japanese Students. Supervised by W.D. Cox. Tokyo, Z.P. Maruya, 1888.
遊紙に「文部省検定済 尋常中学校英語科用書」朱印あり。奥付に「明治二十一年十二月三十日合本出版」「著作者 愛知県士族 志賀重昴」「発行者 東京府士族 小柳津 要人」「印刷者 廣瀬安七」「発兌 丸善商社書店」とあり。「合本定価金壱円」印あり。

38. Peter Parley’s Universal History, on the Basis of Geography. A New Edition, brought down to the Present Day. Illustrated by 20 Maps and 125 Engravings. Tokyo and Osaka: Rikugo-Kwan. 1889.
見返しと標題紙に「仙台数学院印」あり。仙台数学院は明治27年に設立された私塾。明治33年に東北中学となる。落合吉太郎は明治38年4月から40年7月まで、仙台数学院で英語講師を勤めた。

39. Macleod, Henry Dunning, The Elements of Banking. From London Edition. Tokyo, O. Yegusa Uhikaku, 188*(?).
標題紙に「賞与 明治廿五年七月十五日 東京専門学校」印あり。刊年未確認。

40. Swinton, William, Outlines of the World’s History, Ancient, Mediaeval, and Modern, with Special Relation to the History of Civilization and the Progress of Mankind. For use in the Higher Classes in Public Schools, and in High Schools, Academies, Seminaries, etc. New York and Chicago, Ivison, Blakeman, Taylor, and Company. n.d.
奥付に「(スウ井ントン万国史) 明治十九年十月廿五日飜刻出版御届(…)同二十六年四月 第十版」「発行人 戸田直秀」「印刷人 坪内直益」「発兌元 細川芳之助」「同 細川清助」とあり。

41. Salmon, George, A Treatise on Conic Sections. Tokyo, Printer S. Tamura. [Reprint of ] Sixth Edition. London, Longmans, Green, and Co., n.d.
奥付に「明治三十一年十二月一日印刷 明治三十一年十二月二十五日発行」「飜刻兼発行印刷者 田村茂太郎」「印刷所 田村印刷所」。青刷りの標題紙に「坂本嶋嶺」のペン書き署名あり。青刷り標題紙の次の飜刻標題紙に「Kegelschitte」の書き入れあり。

42. Guizot, General History of Civilization in Europe, from the Fall of the Roman Empire to the French Revolution. Ninth American, from the Second English Edition. With Occasional Notes, by C.S. Henry. Tokio, Kaishindo & Kato, Jiujiya J. Iwafuji & Co., 1891.

43. Thorpe, Francis Newton (ed.), Benjamin Franklin and the University of Pennsylvania. Washington, Government Printing Office, 1893.
「日本中学校蔵書之印」「池田蔵書」印あり。

44. Greene, D.C. (ed.), The Christian Movement in Japan. Eighth Annual Issue. October, 1900. Published for the Conference of Federated Missions. Tokyo, Kyobunkwan.

45. Kudo, Tazaburo, The Ethics of Confucius. Tokyo, Methodist Publishing House, 1904.

46. Rouffaer, G.P. en W.C. Muller, Catalogus der Koloniale Bibliotheek van het Kon. Instituut voor de Taal-, Land- en Volkenkunde van Ned. Indië en het Indisch Genootschap. ‘s Gravenhage, M. Nijhofff, 1908.

47. Kuiper, J. Feestra, Japan en de buitenwereld in de achttiende eeuw. ‘s Gravenhage, M. Nijhofff, 1921.

48. Plékhanov, Georges, Introduction à l’histoire sociale de la Russie. Traduite du russe en français par Mme Batault-Plékhanov. Paris, Editions Bossard, 1926.
本文p. 1に「昭和六年四月ヨリ始む」とのペン書き。本文冒頭に訳語の書き入れ多数。池田哲郎の手になるものであろう。

49. Zamenhof, L.L., Fundamenta krestomatio de la lingvo esperanto. Paris, Esperantista Centra Librejo, 1927.


おわりに
 8年前の調査のおり、『静堂遺稿』11巻3冊(昭和6年刊、非売品)を閲覧させていただいた。池田文庫本ではなく、戦前に大谷尋常小学校に寄贈された漢詩文集である。著者は岩村章九郎(章、号静堂、1835-1914)。大谷に生まれ文久元年に大槻磐渓に入門し経史を学ぶ。明治期に県会議員、郡会議員、大谷村村長を勤めた。
 この遺稿の巻十一に「海嘯記念碑」の撰文二種が収録されている。明治29年6月15日午後8時にこの地を襲った三陸津波のため、「我大谷村平磯大谷両被部落被害。大谷最甚。」「大谷部落被害大数流潰家屋七十二戸。溺死二百四十一人。不詳六十五人。斃馬四十一頭。舟車若干。耕地宅地三十五町歩有奇。蓋前代未聞惨禍也。」とある。当時この「海嘯記念碑」の所在を確かめる余裕はなかったが、今回の大震災と大津波で破壊されてしまったかもしれない。
 3月20日付けの三陸新報pdf版(印刷版はまだ発行されていない)によれば、本吉地区の死亡・行方不明者は251人という。