藤塚知明誕生地、雄勝町大須浜再訪

東北関東大震災で壊滅的被害を受けた雄勝町をこの夏、やっと再訪することが出来た。目的は、藤塚知明の誕生地、大須浜の庚申塚が無事であるか、確かめることだった。

2003年1月11日に訪ねたとき、その表面に
「天地同根万物一体 大性院
庚申塚
元文五庚申五月廿一日 龍沢八世無外和□□□  (連名 18名)」

の文字が判読出来た。元文3年にこの浜の漁師喜惣治の子として生まれた知明(幼名、子之助)は少年時代にこの庚申塚の周りで遊んだことだろう。そして、沖合にはロシアの黒船が現れたことだろう。

この8月24日、仙台駅10:47発の石巻駅行き宮交バスに乗車。石巻駅前では音楽祭が開かれていた。石巻駅前12:11発の飯野川行きバスに乗り、飯野川から個人タクシー。途中、大川小学校跡を経て、原野と化した雄勝町を通過し、13:30やっと大須浜に到着。

さっそく、庚申塚に向かった。「象頭山」「大須防波堤竣功記念」いずれの石碑も無事だった。「象頭山」の大石碑の足元の草むらをかき分け、2003年正月と同じ位置に庚申塚を確認できた。

だが、表面に彫られた文字はほとんど全部消滅していた。大津波が削り取ってしまったらしい。左右の下部に文字らしきものが、ごくわずかに見える。連名の一部らしいが判読は困難だ。

岡の上の「老人憩いの家」前の顕彰碑「神道興隆 藤塚知明先生誕生之地」は,全く無事だった。

庚申塚の消滅した文字は残念ながら二度と戻らないが、石だけはいつまでもあの浜に残って欲しい。

そう思いながら、浜を後にした。待っていた個人タクシー運転手のおかげで、追波川(おっぱがわ)運動公園バス停まで道を急ぎ、そこから15:47発仙台駅行きの東日本急行バスに乗ることが出来た。