catechismusの訳語(2)

17〜18世紀のオランダ語にはフランス語からの借用語が多く、学術書、教科書にはラテン語の術語が頻繁に出てきます。こうした借用語や術語は蘭学者を困らせました。頼みのハルマやマーリンの辞典には見出し語として出ていませんから。catechismusはむしろ例外です。それほど市民生活に入り込んだ言葉だったわけです。

大槻玄沢蘭学を普及させたことで知られる『蘭学階梯』ですが、その種本のひとつに、17世紀末から18世紀末まで長くオランダの教会学校で使用され、オランダ各地で版を重ねた「タラツプ デル ユーフト」Trap der jeugd(直訳すれば、青少年の階段という意味)と呼ばれる初等の教科書があります。

日本の寺子屋で使われた往来ものなどに相当しますが、この教科書が出島でも阿蘭陀通詞の子供にオランダ語を教えるのに使われていました。『蘭学階梯』の書名もTrap der jeugdに起原があったといえます。せいぜい50ページほどの小冊子です。本文はゴシック書体で印刷されており、蘭学勃興期の阿蘭陀通詞や蘭学者はこの書体に慣れ親しんだはずです。

私が大学一年で第三外国語として、ドイツ語文法を習ったとき(1967年)、風変わりな教師がいて、どうせ諸君はやがて「ひげ文字」の本を読まねばならないから、「ひげ文字」で印刷した教科書を使う、といって半年間、私を苦しめました。旧制高校以来のドイツ語文法教科書でした。おかげで、蘭学者たちが格闘したゴシック書体に私は抵抗感がありません。

ところで、このTrad der jeugdの巻末には子供向きの短いcatechismus(教理問答)が付いていました。しかし、この部分は出島でも江戸の蘭学者仲間の間でも、無視されたようです。この教科書には「天にまします我らが父よ」で始まるオランダ語の祈りも含まれており、この部分を訳した写本を見つけておりますが、catechismusの部分を訳した例は、まだ出現しません。しかし、前野良沢ぐらいの目のするどい学者は見逃さずに読んだ可能性があります。

以上、長くなりましたが、阿蘭陀通詞や蘭学者を悩ませたフランス語起原の外来語やラテン語の術語を調べるのに、江戸時代によくつかわれた辞典に、メイエル『語彙宝函』L. Meijer, Woordenschat.があります。この辞典は第1部「外来語」、第2部「術語」、第3部「古語」から成っており、問題のcatechismusはその第1部「外来語」Basterdwoordenの見出し語に見えます。

この第1部を日本語に翻訳したのが、いわゆる『バスタード辞典』です。中津藩医大江春{土+唐}の編集、阿蘭陀通詞出身で志筑忠雄の門人馬場貞由による校正で、文政5年(1822)に江戸で中津藩によって出版されました。

これを見ますと、

Catechiseren 法ヲ教ユル
Catechismus 口授

とあります。どのようにしてこの訳語が与えられたかを調べるには、『バスタード辞典』の底本となったメイエル『語彙宝函』を見なければ成りません。ところが、このメイエル『語彙宝函』は初版(1650)から第12版(1805)まであります。その第何版が底本に使われたか、これまで明らかではありませんでした。ここでその検証過程をのべるわけには行きませんが、私の調査で、第6版(1688)が底本に使われたことが判明しました。その第6版の関係部分は、

Catechiseren, in 't gheloof onderwijzen.
Catechismus, mondtleer, gheloofsonderwijzing.

となっています。見出し語はローマン書体、訳文はゴシック書体ですが、ここではゴシックカンマ(/)も含めて、ローマン書体に直して引用しました。訳文はそれぞれ「信仰に導く」「口授、信仰教授」の意味です。これでは、教理問答という問答体の教科書または問答による信仰への導き、の意味が分かりません。

先に引用したハルマやマーリンの説明がより詳しく、分かりやすくなっています。

いわゆるハルマ蘭仏辞典を編集出版したフランソワ・ハルマ(1653-1722)はユトレヒト大学出入りの出版者で、謹厳なカルヴィニストでもありました。ハルマは教科書や宗教書の出版で成功しました。その宗教書のなかでもっともよく売れたのが賛美歌集と『ハイデルベルク教理問答』Heidelbergschen catechismusでした。この教理問答は子供向きではなく、大人向きの分厚い本です。17〜18世紀のオランダでは国民的な宗教書でした。