catechismusの訳語

2009-03-09大槻玄沢のオランウータン説
http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090309/1236619173

に関して、一言付け加えたく思います。玄沢が参照したマルチネト『究理問答』の原書タイトル、Catechismus der natuurのことです。玄沢はこれをマルチネトの(実は、フリースによるマルチネト解説書を)「撰書」と呼びましたので、catechismusの語義を知っていたかどうか、よく分かりません。


Catechismusはもともとラテン語キリスト教の教理問答書を指す言葉です。オランダ語でもこのラテン語形を借用します。キリスト教が禁じられた江戸時代、特に蘭学の発展した時代に、このキリスト教特有の単語がどのように訳されたかは、興味深いところです。

まず、阿蘭陀通詞や蘭学者が利用したハルマ蘭仏辞典やマーリン蘭仏辞典を見てみましょう。

ハルマ蘭仏辞典(1729)
Catechismus. z.m. Verhandeling van de geloofs-artijkelen met vragen en antwoorden. Catechisme par demandes & par reponses.
オランダ語による定義は「問答による信仰箇条の説明」の意)

マーリン蘭仏辞典(1717)
CATECHISMUS.m. Boekje waar in de Geloofs-puncten by vraagen en antwoorden verhandeld zyn. Catechisme.m. Een Fransche, een Duitsche catechismus.
オランダ語による定義は「問答によって信仰箇条が説明されている小冊子」の意)

ハルマ蘭仏辞典をもとに編纂された蘭和辞典「ドゥーフ・ハルマ」を、その刊本である『和蘭字彙』(1855-58)から引用しますと、
catechismusを「問答ニシテ教ル悟道ノ書」と訳しています。また、catechismus der natuurを見出し語に立て、「究理学ヲ問答ニシテ書キタル書物」と説明しています。

「ドゥーフ・ハルマ」は1834年に『阿蘭陀辞書和解』として完成しますが、商館長ヘンドリック・ドゥーフが阿蘭陀通詞吉雄権之助らの協力をえて、1811年から1816年にかけて編纂したローマ字書きの草稿をもとにして、増補改訂を重ねたものです。

そのローマ字書き草稿では、

Catechismus ZV Verhandeling der geloofsarticulen } Satori no mondoo no sijo
(ローマ字訳は「悟りの問答の書」と翻字出来ます)

catechismus der natuurの見出し語はローマ字書き草稿には見えません。これはハルマ蘭仏辞典にはない見出し語であり、編者ドゥーフが増補したものです。1817年から1834年までの間に増補改訂された『阿蘭陀辞書和解』では、*印をもってドゥーフの増補であることを示し、「究理学を問答にして書きたる書物」の訳語を与えています。先の『和蘭字彙』はこれをそのまま踏襲しているわけです。

ドゥーフの増補はマルチネトの書名によっている可能性が極めて高いと思います。マルチネト(1729-1795)の原書はオランダ再洗礼派の牧師である著者が神の被造物としての自然を豊富な図版とやさしい問答体で解説したもので、18世紀最後の四半世紀にヨーロッパ中に流布しました。丹波福知山藩主朽木昌綱が本書を日本語に翻訳したというニュースが『ロッテルダム新聞』1784年11月27日号に出ております。マルチネトはこの記事を知り、大変喜んだと云います。残念ながら、昌綱の訳稿は伝わっていません。