採長補短 文明移入の原理

昨秋、旅先の古道具屋で『大隈伯昔日譚』(円城寺 清著、再版、大正3年刊)を安価で購入しました。その第一章「少壮時代の経歴及佐賀藩の事情」を読んで、採長補短が幕末における西洋文明移入の論理であることを再認識しました。藤田東湖尊王攘夷佐久間象山の東洋道徳西洋芸術はよく知られていますが、文献上にしばしば登場する採長補短はそもそも誰が言い始めたことか、その典拠はなにか、いちど集中的に調べてみたいと思いながら、未だに果たせません。とにかく、大隈重信の『昔日譚』から採長補短の説をいくつか抜き出しておきます。

既に外国の事情を窺ひ知ると同時に、人々の頭脳に起りたる思想は、西洋諸国は兵備、戦法、器械、化学等の点に於て、大に我より優る所ありと信じたる事、是なり。藩主鍋島閑叟は、夙に此の思想を懐き彼の長を採て我の短を補はんと志し、他藩に率先して蘭学寮を設け、有才の士をして蘭学を講究せしむる便を与へたりき。是に因りて只さへ、学制の束縛に不平を懐きたる人々が、蘭学を修め、欧米の地理、形勢、及び学芸の一班を窺ひたれば、愈々厳酷なる教則の下に、窮屈なる朱子派の学問を修むるを不可とし、学制に反抗するの意念を増長せり。

彼欧州にて文明の原因を論ずるもの或は宗教の力なりと言ひ、或は科学進歩の結果なりと言ふの間に、各国の交通、競争、軋轢よりして実地に採長補短の効を奏するを得て始めて此に至れりとの説が頗る勢力を得たるが如く、直接に人心を指揮し、刺衝し、考慮せしめ、企画せしむること、恐らくは交通の利益に優るものなかるべし。

交際は自他互に誘益するもの、他山の石を以て玉を磨くべし。今、欧米の書に就て之れを研究し、且之れを同志の実験談に聴くに、文物典章より、種々の商工業の上に於て、其整理の状は感歎すべきもの多し。我国民は宜しく虚心平気にして以て採長補短の方法を講ぜざる可からず。如何んぞ一概に夷狄禽獣視して排斥すべけん。まして不法の言動を以て之に対せんとするは非理の甚しき者なり。