豚名月 風雅と洋学

昨日は加賀藩蘭学者鹿田文平の遺品である、絵師庫敬の一番丸図について書きました。その図には、文平の漢詩のほかに、大聖寺藩儒東方真平の漢詩と金沢の俳人直山大夢の句があることも紹介しました。大夢の句とは、

此わたりを自由に行かひ宝の船をたくめるも大和魂のひとつならんか
春秋のしらべつきせじ琵琶の湖
七十六翁大夢 南無庵

というものです。蒸気船をはじめて琵琶湖に走らせるのを大和魂のあらわれと捉えるのは、いかにも当時の自信に満ちた精神をうかがわせます。大夢は初め藩の御算用場に勤務し、後寺子屋を開いて児童に教えました。天保10年に大夢と号し、慶応2年南無庵三代を称し、明治7年2月17日81歳で没したと言います(日置謙『加能郷土辞彙』)。

加賀俳人大和魂といえば、明和8年(1771)7月15日に、長崎オランダ商館の宴会に招かれた際、商館長のアルメナウルトに蕉風の俳諧精神を教えようとした堀麦水のことが思い出されます。麦水の「山中夜話」(安永2)に記されたこの自慢話は、拙文「イタリアンス流」http://www.users.kudpc.kyoto-u.ac.jp/~o51340/abc/abc_a.htmlで紹介したことがあります。風雅と洋学というテーマに引きつけて、もういちど考えてみましょう。

問題の句は、

いざ給へ豚名月と興ずべき

です。麦水によれば、「俗談平話を正す」ために、すなわち「俗談を雅にひく」という蕉風をこの句によってオランダ人に伝えるという試みです。この場合、俗は商館長の進める豚の湯引き料理、雅は名月。

麦水と商館長はカピタン部屋のベンチに座り、麦水はベンチからの情景を一紙に画き、俳句を添えます。阿蘭陀通詞の楢林長次郎が「豚」「月」の漢字を書き、対応するオランダ語「verkens」、「maan」を書き添え、必死に俳句の意味を商館長に説明します。すると、おぼろげながら理解して、「珍しい、不思議」というオランダ語を唐草文字のように書いてくれたというのです。原文を引用します。

此時十五日の月出で、白日の如し。況や此邸高き事三丈、又四尺の榻(とう)の上に座す。故に長崎の入海を目下に見晴らして、月光万丈の銀蛇を踊らずが如し。酒三杯に到つて、豚を湯臑(とうじゅ)して前に進む。我朝の見ざる所の興也。爰に於て我漫りに筆を取つて彼の句を出す。時を失はん事を恐れて、句の可否を思惟するには渡らず。纔かに豚の字を蛮書して其興に抵(あ)つ。故にアルメナヲルト是を不審して肴を指さす。通詞則再び書して空の満月をさして其趣意をあらあらと告ぐ。爰に於て我不知万里の彼方へ、蕉風の俗談平話を正す詞おぼろげにも通じてけり。依つて彼画の上に横たふ。めづらしし不測(ふしぎ)なりといふ事をイタリヤアーンス風に書す。是少しく通じたる印也。

芭蕉の風雅の心を西洋人に伝えようという麦水の大和魂は賞讃に値します。しかし、はたして通じたかどうか、は分かりません。というのも、そのとき阿蘭陀通詞が商館長に示した俳句のオランダ語訳は、麦水によれば、

ヨロナア クトルシウ ヘルケンス モウイマアーン レイク コーム

だったといいますから、無理だったのではないでしょうか。最初の二語が「いざたまへ」に対応するそうですが、私のオランダ語力では今のところ原語を思いつきません。「ヘルケンス モウイマアーン」(verkens mooi maan)は「豚の名月」という意味になります。「レイク コーム」は「rijke kom」(盛り沢山の深皿)に対応するかもしれません。

もっとも、この商館長が文事に通じており、西洋古典の文体論に言うsermo gravis(雅文体)とsermo humilis(俗文体)の区別を知っていたら、蕉風を多少とも理解したかもしれません。そして、加賀の俳人オランダ語ラテン語の詩文を返し、握手していたでしょう。