大槻玄沢のオランウータン説、その典拠について(反省の弁)

江戸時代に舶載された珍獣としては、ダチョウ、ゾウ、オランウータン、ラクダが有名です。こうした珍獣は見せ物に連れ回されたり、絵師の恰好の題材になったりしました。

阿蘭陀通詞や蘭学者オランダ語博物学書や百科事典から、こうした珍獣に関する博物情報を得ました。たとえばオランウータンは寛政4年(1792))、寛政5年、寛政12年(1800)に舶載され、寛政4年の際は、阿蘭陀通詞本木良永とその子正栄がボルネオ産のオランウータンを「野人」と呼んで詳しく観察し、ボイス『新修学芸百科事典』を参照しています。

寛政12年のアンゴラ産オランウータンは、唐絵目利(舶来絵画検査役の絵師)の荒木如元が見事な「写真図」を残しています。この図は江戸の蘭学者森島中良が模写したり、大槻玄沢が『蘭{田+宛}摘芳』(1817)のオランウータンの章に掲載したりしています。

大槻玄沢によるこのオランウータン説はヨンストン『動物図譜』、ボイス『新修学芸百科事典』、マルチネト『撰書』を典拠としています。最後の『撰書』と玄沢が呼ぶ蘭書はマルチネト『究理問答』Catechismus der natuur(初版はAmsterdam, Johannes Allart, 1777-1779. 4 vols)を指します。

最初調査したときは、玄沢が典拠のひとつにマルチネトを挙げているのに、その『究理問答』のどこにもオランウータン説に対応するオランダ語原文が見つからず、ハウトゥイン『リンネ氏の体系による博物誌』第1巻の「ボルネオのオランウータン」という節が原文であると判定できましたので、私は『牧野富太郎 蔵書の世界 牧野文庫貴重書解題』(牧野文庫、平成14)で、玄沢が典拠に『撰書』を挙げたのは間違いであると書いてしまいました。後になって分かったのですが、私の方が間違っていました。

というのも、問題の「ボルネオのオランウータン」という節はもともとフランス人イエズス会士ルコントの『シナ現代新誌』(パリ、1696)からの抄訳(オランダ語)ですが、同じ文章がフリース『マルチネト氏究理問答第1巻、第2巻への博物学的解説』(1778-1779,4 parts in 2 vols)にも含まれていることが判明したのです。

玄沢が手にしたマルチネト『究理問答』はフリースの解説本とセットになっており、玄沢がそれらをまとめてマルチネト『撰書』と呼んだ、というのが真実であったわけです。このセット本で、しかも問題の文章に赤通しの付いた原書が宮城県図書館伊達文庫にあります(注)。この原書には「文政乙酉」(文政8年、1825)の印記があり、大槻玄沢の手沢本であった可能性があります。

(注) 松田清編『宮城県立図書館伊達文庫蘭書目録』(松田清研究室、2003)、47頁参照。この目録の題名も正しくは『宮城県図書館伊達文庫蘭書目録』とすべきでした。