小値賀(おじか)島と蘭学者

謹賀新年。

昨年5月以来、ブログを離れていました。忙中の閑のつもりで気楽に書いてみることにすれば、今年は長続きするかもしれません。

1月4日の朝日新聞、朝刊の一面に、シリーズ「日本 前へ」3として、「離島 探せば宝の山」の大見出しで、長崎県小値賀(おじか)島が紹介されていました。このシリーズは地域振興のめざましい例を追いかけています。

高級魚アラの料理を売り出す高級レストランが今年の夏、島にオープンするとか。古民家再生、民泊などの地域振興策。足下の文化資源を発掘する「地元学」の提唱。小値賀島を「日本の奇跡」と呼んだアレックス・カー氏のことなど。カー氏は京都の景観破壊を痛烈に批判したことで知られた文明評論家。

なぜ「小値賀島蘭学者」かというと、文政年間に平戸藩主の松浦煕(ひろむ)が御隠居様、すなわち松浦静山の承認のもと、蘭学者山田大円を江戸から密かに呼び寄せ、小値賀島機械仕掛けによる珊瑚採集実験を行ったことがあるからです。山田大円は京都や膳所で活躍したあと、故あって江戸に逃れ、そこで近江から出てきた鉄砲鍛冶の国友一貫斎に蘭学知識を授けた人物です。その機械仕掛けとは何なのか未解明ですが、ドイケルスクロック(duikers-klok)と呼ばれたオランダ式の排気鐘ではなかったか、と仮説を立てています。エフベルト・ボイスの『学芸百科事典』第3巻(1771)、pp. 409-413に図版入りで詳しい説明のあるこの機械は、蘭学者たちの注目の的となったはずです。

高級魚アラといえば、昨年12月3日、大分県竹田市を訪れた際、「あたま料理」(竹田の郷土料理)を初めて賞味しました。アラなどの大型魚の頭や臓物を湯がいて、紅葉おろし、刻みネギ、三杯酢で食べます。小値賀島のアラ料理がどんなものになるか、江戸時代の珊瑚取りについて何か伝承がないか。この夏、できれば小値賀島に一度出掛けてみたいのですが。

アラのことでもうひとつ思い出しました。文化年間、出島で生活していたオランダ人たちもアラを食べていました。ただし、生のアラでなく塩漬けのアラです。竹田の「あたま料理」に使うアラも、山国のこと、昔は塩漬けのアラだったでしょう。商館長ドゥーフが値付けした「直組帳」(文化8年の活字版、出島の日用品について、オランダ語名、ローマ字書き日本語名、値段を対照させたもの)をみると、

Jacob Evertz:,Gezoute. Siwo Arra

とあります。「塩漬けのヤーコブ・エーフェルツゾーン:塩アラ」という意味です。

ドゥーフの「直組帳」でアラに付けられた「ヤーコブ・エーフェルツゾーン」または「ヤーコブ・エーフェルツ」という奇妙な魚名は、L.B. Holthuisによれば、1598年にモーリシャス島に立ち寄ったオランダ東インド会社の船アムステルダム号の水夫の名前に由来するという。水夫たちがモーリシャス島で夢中になって漁をした魚に、仲間の名前を付けたというわけです。詳しくは、http://www.repository.naturalis.nl/document/149828 参照。