ドイケルスクロックの訳語

先日、蘭学者山田大円が小値賀(おじか)島の珊瑚採集実験に「ドイケルスクロック」(duikersklok)を使用したのではないかと推測しましたが、思わず「排気鐘」と誤訳してしまいました。正しくは「潜水鐘」です。訂正しておきます。

ボイス『学芸百科事典』のduikersklok項目に触れましたが、実はこの項目は文化年間に阿蘭陀通詞によって訳されています。文化4、5年(1807-1808)のことです。阿蘭陀通詞の中山作三郎、本木庄左衛門、馬場為八郎が天文方高橋景保のために翻訳したと思われる「ボイス和解」(杏雨書屋所蔵)が残っています。

この写本にある「求己文庫」とモノグラムの洋印「TAKAHASI」は景保の蔵書印です。「明時館図書印」がありますので、景保がシーボルト事件の犠牲となった後、この写本は天文方渋川家の蔵書となったことが分かります。「伊藤篤太郎記」のつぎに「珍書顛家久長清玩」(川田久長の蔵書印)が押されています。「福田文庫」の印は未詳です。この「ボイス和解」は原書のA−D項目からの抄訳にすぎませんが、各項目に対応する原書の銅版図版はおそらく絵師の手によって精密に模写されています。

「ドイクルス コロツク」と表記されている項目をみると、まず「ドイクルスコロツクは水を泳[もぐ]る鐘と訳す其形鐘の如くにして水中にて没人の呼吸を助る器なり故に此名あり」と注記し、本文冒頭は「此泳水鐘は近来に考へ造れるものにて其用ハ水中大抵の深き所に入て事をなすことを得るなり其水中に在の長短は鐘の大小によれり」と訳されています。対応するオランダ語の原文は、以下の通りです。

DUIKERS-KLOK, een (Machine) Werktuig. Uitgevonden om een Duiker tot op eene redelyke Diepte neder te voeren, en waar door hy meer of minder Tyd onder Water blyven kan, naar dat de Klok Grooter of Kleiner is.

和訳中の「近来に考へ造れるものにて」は原文の「潜水者を相当な深さにまで降ろすために考え出された(機械)」をつづめて訳したもので、正確ではありません。

ボイス『学芸百科事典』は早くから蘭学者たちが重宝した事典です。蘭学者たちはボイスを著者と信じていたようですが、実は翻訳者であって、原書はロンドンで出版された英語の百科事典、A New and Complete Dictionary of Arts and Sciences. London, W. Owen, 1754-55.です。図版もオランダ語の語順にしたがって配置が変わっているほか、違いは認められません。

この英語の百科事典もディドロダランベールの『フランス百科全書』などをもとに編集されました。このウィリアム・オーウェン版の英語百科の第2版(1763-64)によって、duikersklokに対応するdriving bell項目をみますと、上掲のオランダ語に対応する英文は以下の通りです。

DIVING-BELL, a machine contrived for the safe conveyance of a diver to any reasonable depth, and whereby he may stay more or less time under water, as the bell is greater or less.

この英語百科には以前、関西大学図書館を訪書した際に出合いました。当時、国内では他に所蔵がなかった貴重書でした。しかし、いまではGoogle Bookでローザンヌ大学蔵書(2009年4月デジタル化)を検索できます。

ドイケルスクロックそのものが江戸時代に輸入されたかどうか。山田大円がこの機械について、どの程度の情報あるいは知識を得ることができたのか。さらに調査が必要です。

輸入については、ハーグのオランダ国立文書館所蔵出島文書の「エイスブック」(日本からの脇荷注文書)が手がかりになります。

オランダのデジタルライブラリー Het Geheugen van Nederland(オランダの記憶)で、一連の「エイスブック」を閲覧できます。そのひとつ「1810年向け皇帝陛下[将軍]の注文」リスト(De Eyschen van zyn Keyzerlyk Majesteit voor ‘t Aanstaande Ao_1810)

http://resolver.kb.nl/resolve?urn=urn:gvn:NA01:00006001393&role=image&size=largest
に、

1 stel Duykers klok met deszelvs toebehooren ( als t moogelyk is
(1式 ドイケルスクロック できればその付属品共)

とあります。