毛利高標所蔵の世界地図帳

必要あって、大分県郷土史家今村孝次(明治8年生、昭和17年没)の遺著『二豊人文志』(朋文堂、昭和18)を見ると、「古簡集」と題した記事に、蔵書家として名高い佐伯藩主毛利高標が国許の藩士にあて、「佐伯は江戸とは違ひ火事も少いことだから先づその心配はあるまいが、万一の場合に備へる為に、何時でも持出し立退き得る様に用意して置いて貰ひたい」旨、指示した短い書簡が紹介されています(訳文は今村)。

高標が収集した和漢洋の蔵書のうち洋書は、大分県立図書館に以下の5点が伝わっています。これらの洋書を調査したのはメモによると、1988年9月のことです。

1.ゴルテル『新訂外科学』
Gorter (Johannes de), Nieuwe Gezuiverde Heelkonst. 3de druk. Amsterdam, W. Boman, 1762.

2.クノール『貝譜、目と心の歓び』
Knor (G.W.), Les délices des yeux et de l’esprit ou Collection génale des differentes especes de coquillages. Nuremberg, 1764-1765.
商館長イサーク・ティチングの署名入り

3.ミュッセンブルック『自然学入門』
Musschenbroek (P. van), Beginselen der Natuurkunde. Leiden, S. Luchtmans, 1739. 2 vols in 1.

4.ワインマン『顕花植物図譜』
Weinmann (Johann Wilhelm), Duidelyke Vertoning, Eeniger Duizend in alle Vier Waerelds Deelen wassende Bomen, Stammen, Kruiden, Bloemen, Vrugten en Uitwassen, &c. Amsterdam, Z. Romberg, 1736-1748. 7 (of 8) vols.
第4冊をのぞく各冊の標題紙に、オランダ語で「商館長I.ティチングの贈り物として隠岐守朽木左門殿へ」という意味のティチング自筆の献辞があります。

5.ウィラビー『魚譜』
Willoughby (Francis), De Historia Piscium Libri Quatuor. Oxonii, E Theatro Sheleoniano, Anno Dom. 1686.

高標の書簡紹介に先立って掲げられている高標の小伝のなかで、今村は県立図書館本以外にも、高標旧蔵書を「一見した」と、次のように述べています。

「蘭書の一部は現に県立図書館にも保存されてゐるし、筆者は又嘗て一七一二年アムステルダム版の革装特大版の詳密精美な世界地図(日本国の部には、いかにも長崎在住の経歴ある蘭人の手に書かれたかと思はれる様な漢字で六十余州の国々の名が印刷挿入されてゐた)を一見したことがある。尚いづれ今でも上野の図書館かどこかに転蔵せられてゐる事と想ふ」

今村のこの記述から、問題の世界地図帳を書誌的に同定することができるでしょうか。手がかりは、出版年の1712年と「長崎在住の経歴ある蘭人の手に書かれたかと思はれる様な漢字で六十余州の国々の名が印刷挿入され」ているという日本図の特徴です。この特徴をもつ日本図としてはケンペルの遺著『日本誌』(1727)所収の地図をすぐ思い浮かべますが、これは地図帳ではありません。また、1712年といえば、ケンペルが『廻国奇観』を故郷のレムゴーで出版した年ですが、このラテン語の論文集には日本植物の銅版図や漢字の植物名が印刷されていますが、日本地図はありません。

ケンペル『日本誌』』以前にヨーロッパで出版された日本地図のうち、「漢字で六十余州の国々の名が印刷挿入され」た地図といえば、ユトレヒトの東洋学者アドリアン・レーラント(Adrian Reland, 1676-1718)が「66州に区分し、いくつかの日本製地図によって記述した日本国図」Adrien Reland, Imperium Japonicum Per Regiones Disgestum Sex Et Sexaginta Atque Ex Ipsorum Japonensium Mappis Descriptum Ab Hadriano Relando. しかありません。

この地図は最初、アムステルダムの啓蒙的な書店主J.F. ベルナールがイサーク・コメリン編集『オランダ東インド会社の起原と発展』I. Commelin, Begin ende Voortgangh van de Vereenighde Nederlansche geoctr. Oost-Indische Companie. Amsterdam, 1645.をもとにして編集したフランス語版『北方旅行記集成』Recueil de Voyages au Nord. Amsterdam, J.F. Bernard, 1715-1720. 10 vols.の付図(第3巻、1715、所収)として出版され、その拡大版が同じ1715年に、ユトレヒトのブルーデレット(Willem Broedelet)書店刊行の地図帳に収録されて出版されたといいます。

私の見ることの出来たレーラントの日本国図(アムステルダム大学図書館蔵)は、アムステルダムのオッテンス兄弟R. & J. Ottensによる後の版(1740頃、手彩色)で、寸法は縦40cm、横59cmでした。
この版と同じ地図がhttp://www.raremaps.com/gallery/enlarge/13651に掲載されています。

しかし、私はまだ、ブルーデレット刊行の地図帳もベルナールの『北方旅行記集成』初版も見ておりません。

ライデン大学所蔵のベルナール『北方旅行記集成』(Amsterdam, 1725-1738、10 vols. [466G 14-23])は再版と第3版の取り合わせ本で、レーラントの日本国図(右肩にTome 4. p. 32と印刷)は第1巻に誤って挿入されており、寸法は縦30cm、横45cmでした。

京都大学附属図書館貴重書のベルナール『北方旅行記集成』はルーアン版(Rouen, 1725. 10 vols.)で、日本地図は見あたりません。

権威あるクーマン『オランダ刊行アトラス書誌』Koeman (Ir. C.), Atlantes Neerlandici. をみても、レーラントの日本国図をもつ1712年、アムステルダム版のアトラスは確認できません。

今村が「一見した」、毛利高標所蔵の世界地図帳は1712年版ではなさそうに思えてきました。今後、さらに検討してみるつもりです。