幕末生け花書の蘭文賛

幕末の蘭学は時代の要請を受けて医学から兵学中心へと大きな転換をみせたが、医学、兵学の基礎学としての生理学、理学の普及を忘れてはならないだろう。幕末京都で蘭学塾時習堂を開き、佐野常民陸奥宗光らを教えた広瀬元恭(1821-1870)はそうした基礎学を教えつつ築城術まで研究した。その訳書『利摂蘭度人身窮理書』(安政3年)はフランス革命期に生理学教科書の好著として評判を高めたフランス人外科医・生理学者アンテルム・リシュランの『新生理学入門』Anthelme Richerand (1779-1840), Les nouveaux éléments de physiologie. Paris, 1801.の序論を蘭訳から翻訳したものだ。

また、『理学提要』(安政3年)はウィーンのヨーゼフ陸軍軍医学校教官イスフォルディンクが著した教科書『医学生のための理学入門』Johann Nepomuk Isfordink (1776-1841), Naturlehre für angehende Ärzte un Wundärzte, als Eileitung in das Studium der Heilkunst. Wien, 1814.を蘭訳から漢訳したもの。いずれのオランダ語原書も広瀬元恭の師である坪井信道が原典主義の教育で知られた蘭学塾日習堂で原書講読のテキストとして使用された教科書であった。

一昨日、幕末の生け花書『青山御流活華千瓶図式』上下二冊(水谷有雅著、安政4年、平安、錦章堂蔵板)を繰っていたら、上冊の「紫錦蘭 十一葉一花」図の蘭文賛が眼に入った。図に画かれた生け花は「初伝式 長生館梅暁 浪花亀井町 松田保蔵」なる人の作品である。

蘭文賛は文法的におかしなところもあるが、14行にわたる蘭文を翻字しよう。

Dit kruidje, hetwelk in bladeren / groen en buiten purper is, / is een van de schoonheid / der / Natuur, / welke door den kruid,, / zoeker geliefd / word. / Geschreven door Toofo Firose / te miaco in Japan, / in den tienden / van December / Ansij 4.

これを訳せば、「葉が緑で、葉裏が紫のこの小草は造化の妙のひとつであり、園芸家から愛好されている。トーホ・ヒロセ書、安政四年十二月十日、日本、ミヤコにて」となる。署名者「トーホ」は広瀬元恭の号「藤圃」である。紫錦蘭は文化13年(1816)に琉球から初めてもたらされたムラサキオモトのこと。

オランダ語kruidjeは指小辞jeが付いているように「小草」の意味をもつが、幕末に「コロイジー」と言えば、蘭学生のあいだで話題となった「コロイジー・ルールメイニート」kruidje roer my niet (私を揺するな草、の意)を想起させる。天保11年(1840)ごろに渡来したもので、当時は「顔羞草」「含羞草」「屈佚草」「指佞草」などと呼ばれたオジギソウである。「顔羞草」「含羞草」はオランダ語の別名schaamkruidの意訳である。このオジギソウが蘭学生の間で話題となったのは、珍しい渡来植物というだけではなく、彼らが学んだ教科書、すなわちリセランド『新生理学入門』に、動物と植物の境界領域にある植物の例として引用されていたからである。

外来植物が各地の物産会で話題となり、本草学者、蘭学者のみならず一般庶民にも浸透していった時代である。伝統を重んじる活け花の世界にも、異国の草木が侵入してきたとしても不思議ではない。幕末京都を代表する蘭学者広瀬元恭が青山御流の生け花書に蘭文賛を寄せた事情をもう少し、詳しく知りたいが、今は手がかりが乏しい。