ベルリンの本草綱目和刻本
いまからもう20年も前、1990年8月6日〜8日に東ベルリンのウンター・デン・リンデンにあるDeutschen Staatsbibliothekを訪ね、古渡りの本草綱目を拝見したことがありました。ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ウィルヘルムがベルリンの主席司祭Andreas Mueller(1630-1694)と侍医のChristian Mentzel (1622-1701)に収集させた漢籍のなかで、とにかく古渡りの本草綱目だけは見たく思いました。
当時はベルリンの壁が落ちて9ヶ月ということもあり、まだ図書館は閉鎖中で閑散としていました。そういう状況の中で、司書のDr. Helga Keller女史の計らいで、特別に見せていただいたわけです。
クラプロート『ベルリン王立図書館所蔵中国・満州語書籍写本目録』J. Klaproth, Verzeichness der chinesischen und mandshuischen Buecher und Handschriften der Koeniglichen Bibliothek zu Berlin. Paris, 1822.の記載する本草綱目初版本と和刻本の2点のうち、残念ながら、初版本(Libr Sin. 34/36、金陵本)は1942-44の間に戦火を避けてベルリンからクラカウ大学図書館へ移されたままで、見ることが出来ませんでした。
和刻本(Libr Sin. 102/7)は全52巻および附巻を6帙(各帙6冊)に分け、計36冊からなっています。各冊表紙には「江西/本草綱目」で始まる刷り題簽が貼られ、第36冊(附巻)末尾の刊記に、「寛永十四年丁丑年初春吉日 魚屋町通信濃町 野田弥次右衛門開板」とあります。クラプロートは誤って刊行地を江戸としていますが、これは1637年に京都で刊行された日本最初の和刻本です。
各帙の背には、Klaprothらしい手で「Herbarium magnum /本草綱目 pen zao kang mu/Tom: I-VII (Fasicul 1-6) / Prolegomena. Aqua. Agnis. Terra」などとペンの書き入れがあります。帙に貼られた題簽(172x45mm)は洋紙に、「江西/本草綱目 puen cao kie mo 巻一二三四五六七/Herbarij magni Vol 1」などのように木版で刷られています(中国音のローマ字表記に加えられたdiacritic marksは都合により省略しました)。これはMentzelが彫らせたものといいます。
Mentzelはこの和刻本を「アイボイナ島植物誌」「アンボイナ奇品室」で知られる「東インドのリンネ」ルンフィウスG. E. Rumphius(1628-1702)から入手したとされています。第1冊の序文三種(1オ〜17ウ)にはいずれも朱筆で訓読の訂正が書き込まれており、明らかに日本人によるものです。この和刻本がオランダ東インド会社のネットワークを介して、京都・長崎→バタヴィア→ベルリンをどのように旅したのか、いまとなっては詳細は分からないかもしれません。
暗い街並みとうつろな人々の眼。20年前の東ベルリンの記憶と370年以上前の和刻本の鮮烈な輝き。Keller女史は数年前のクラカウの学会で発表したカーボンタイプの英文報告原稿 Some details about the history of the "Libri Sinici" colletion of the German State Library in Berlin.を記念に下さいました。