渡辺崋山旧蔵蘭書(18)

[35] イスホルディング(人名)究理書写   弐冊 
   但三才究理之書ニ御座候

イスフォルディング『医学生のための理学提要』J.N. Isfording, Natuurkundig handboek voor leerlingen in de heel- en geneeskunde. Amsterdam, C.G. Sulpke, 1826. 8vo, xxii, 184 pp.の写本です。渋川六蔵はこの項目に「陋」(傷み本)、「直 一冊三才」、「同作なり 壱冊は用立」と書き入れています。すなわち、2冊が同じ写本なので、一冊を御文庫用に取り置いたわけです。

本書はドイツ語原書のオランダ語訳です。ドイツ語原書は次の通りです。
Johann Nepomuk Isfordink (1776-1841) :
Naturlehre für angehende Ärzte und Wundärzte, als Einleitung in das Studium der Heilkunst; zum Gebrauche der Vorlesungen für die feldärztlichen Zöglinge der medicinisch-chirurgischen Josephs-Akademie. Wien, Kaulfuss und Armbruster, 1814. XVI, 182 pp.

標題を訳せば「新進内科医・外科医のための理学提要 医学研究入門 ヨーゼフ医学校軍医課程生徒用講義」です。原著者のイスフォルディンク(ドイツ語の発音に従います)は当時、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世が創立したヨーゼフ医学校(1785-1874)の一般生理学・薬物学教授でした。のちにオーストリア陸軍軍医総監、ヨーゼフ医学校校長となります。この医学校の建物は現在、ウィーン大学医学史研究所となっています。Cf. http://www.meduniwien.ac.at/histmed/institut_geschichte_english.htm

オランダ語訳は幕末の蘭学塾でよく使用され、和刻本『理学入門』(福島 信夫古蔵梓、安政4年刊)も出ております。Cf. http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/0079/image/19/0079s163.html

京都大学附属図書館所蔵坪井本(蘭学者坪井信道旧蔵書)にある原書は信道の手沢本で、信道の蔵書印「誠軒図書」が捺され、手垢にまみれています。拙著『洋学の書誌的研究』、679ページ参照。

最近、渡辺崋山「客坐掌記」(天保3年)の原本を田原市博物館で拝見しました。そのなかに「壺井秦道」とあるのは江戸で蘭学塾「日習堂」を開いたばかりの坪井信道のことです。また「高野長英 麹町」の名もみえます。天保3年における崋山の蘭学者との交流をうかがわせます。拙文「客坐掌記(天保三年)に描かれた肥満英国人」(崋山会報、第22号、平成21年4月11日発行)参照。

「日習堂」では飜訳ではなくオランダ語原典を講読しました。いわゆる原典主義をつらぬいた、当時江戸で最高レベルの蘭学塾です。イスフォルディングは坪井塾の教科書として使用され、塾生の間で盛んに筆写されたようです。この目録[42]にも、別の写本「イスボルディング(人名)三才究理書写 葉本 五冊」が記載されています。

なお、坪井信道は江戸の蘭医学の最高峰でありながら、最近まで十分に、すなわちオランダ語原書に基づいて研究されませんでした。クレインス『江戸時代における機械論的身体観』(臨川書店、2006)はその渇をいやす極めてすぐれた研究成果です。Cf.
http://books.google.co.jp/books?id=wAta41g5DAkC&printsec=frontcover&dq=%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E8%AB%96%E7%9A%84&as_brr=3#PPP9,M1


[35] ウェイランド(人名)文法書写   三冊

ウェイラント『オランダ語文法』Pieter Weiland, Nederduitsche spraakkunst. の筆写本です。この文法書の初版は、Nederduitsche spraakkunst, door P. Weiland, uitgegeven in naam en op last van het Staatsbestuur der Bataafsche Republiek. Amsterdam, Johannes Allart, 1805. といい、バタヴィア共和国政府の名前と費用でもって刊行されました。Cf. GBS :
http://books.google.co.jp/books?id=SWoTAAAAQAAJ&pg=PR18&dq=Weiland+P.+spraakkunst&as_brr=3#PPR6,M1
共和国政府は規範となるべきオランダ語正書法と文法を定めるため、ライデン大学教授のM.シーヘンベークMatthijs Siegenbeekにオランダ語正書法の執筆を、ロッテルダムの牧師ウェイラント(1754-1842)にオランダ語文法の執筆を命じたのでした。シーヘンベーク『オランダ語正書法提要』Verhandeling over de Nederduitsche spellingは1804年に出ています。

ウェイラントの文法書はその序文でも述べているように、ドイツの言語学者アーデルングの『学校文法解明のためのドイツ語大系』J. Chr. Adelung, Umständliches Lehrgebäude der deutschen Sprache zur Erläuterung der deutschen Sprachlehre für Schulen. Leipzig, 1782.およびオランダの文法学者テン・カーテオランダ語精髄案内』Lambert Ten Kate, Aenleiding tot de kennisse van het verhevene deel der Nederduitsche sprake. Amsterdam, 1723.に範を取ったものでした。フランスの中央集権的な文教政策を採用したバタヴィア共和国政府によって編纂された文法教科書が、当時優勢であったフランス流の合理文法を取らなかったのは興味深いことです。

ちなみに、日本に舶載されたフランス流の合理文法としてはゼイデラール『オランダ語文法』Ernst Zeydelaar, Nederduitsche spraakkonst. Utrecht, 1781.があります。これが前野良沢の門人江馬蘭斎(1747-1838)によって全訳されていることはもっと知られてよいことです。Cf. GBS :
http://books.google.co.jp/books?id=lCNbAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=zeydelaar&lr=&as_brr=3

初めてオランダへ留学した時、帰国を前にしてオランダ中の古書店を巡ったことがありました。1990年3月7日、ハーグのLoose古書店テン・カーテの文法書を見つけ、思い切って購入しました。四つ折り判、2巻本(本文、上巻743ページ、下巻748ページ)の大著です。これを久しぶりに書庫から取り出して見ていますが、自国語に込められた著者の熱情を感じ取ることができます。ウェイラントも同じ感情を抱いていたことでしょう。今では、GBSでオックスフォード大学蔵本を閲覧できます。GBSではその感情が伝わりにくいですが。
http://books.google.co.jp/books?id=ahAJAAAAQAAJ&printsec=titlepage&as_brr=3&source=gbs_summary_r&cad=0#PPP9,M1