渡辺崋山旧蔵蘭書(16)

ここで追記を3つ、書いておきます。
<追記その1> キリストの名目について
この山路弥左衛門の目録「三十三」番(ここでは私に[33]と表記)の「政事書」項目では、欄外に「御用出」の書き入れと、「キ」の字を○印で囲んだ記号が付けられています。この記号をもつ項目は、ほかに次の3項目があります。

[38] 魯西亜文字之写                         弐冊
[51] 阿蘭陀書簡之写 オランダ国主江贈り候書簡ト相見申候得共
何れノ国より送り候歟相知不申候         壱冊
[65] 魯西亜雑記写  地理風俗抔之事相認候書ニ御座候         壱冊

これまで触れる機会がありませんでしたが、この目録の計65項目は、それぞれ一つ書きの「一」の上に、「直」「陋」「キ」のいずれか一つの記号が付けられています。これらの記号は渋川六蔵が天保14年2月2日に点検した際に書き加えられたものと思われます。この目録の表紙裏の注記によれば、「直」は御文庫に預け入れる分、「陋」は欠本または無用の書、「キ」は天保13年7月2日に「御用」に出されて所在不明のものです。この「御用」の内容は未詳です。

ここで「渡邊登蘭書一件」によって、[33]の書物の取り扱いを見てみましょう。小人目付小笠原貢蔵らは報告書(天保10年の7月付)で、

「山路弥左衛門が申すには、三十三番はキリストの名目があるものの邪教の書物ではありません。しかし、世上に流布してはよろしくありません。キリストの名目はキリシタンの書類であり兼ねてから禁制の品ですので、万一中身を飜訳するよう指示をいただいても役所で取り調べはむつかしく、ぜひ殿中にてお立ち会いのもとに取り調べ、取り調べ人に誓詞を出すように命じていただかなくては容易に取り調べも出来ません、とのことです。山路は、もちろんこのキリストの書物は表題を見ただけで、詰め合いの者(天文台詰の蘭学者たち、引用者注)に手渡してはいないとのことです。私どもはこのキリストの書物を渡邊登がどこから手に入れて所持していたのか、ご禁制の書籍が秘密裏に売買されるようなことがあってはならぬと風評し合っております」

と述べています。

この報告書によれば、山路は書物の「表題」を見ただけで、中身を見ていないことになります。そうだとすれば、「表題」にキリストの名目があったことになります。この場合「表題」が表紙タイトル、ハーフタイトル、標題(タイトル)のいずれを指すのかを今は問いません。しかし、それ以前の5月付けの山路の報告書(同じく「渡邊登蘭書一件」所収)に、「此度御下ケ之蘭書並写本類取調候処別紙之通」とある「別紙」こそ、ここで原書の同定を行っている目録です。その「三十三」番の書き込みには、先に見たように、

政事之書 但右書中ニキリスト之名目有之候得共教法之書とも相見不申候

と「書中ニ」と明言しています。天文台詰め蘭学者宇田川榕菴、杉田立卿、成卿父子のいずれか)が5月に目録を作成する段階で、問題の書の本文ページを点検していることは明かです。それを踏まえた山路の書き入れのはずです。

「渡邊登蘭書一件」への書き込みによれば、この山路の報告書は、小笠原らの報告書に文意が含まれているという理由で、鳥居燿蔵の手元に留め置かれ、水野忠邦まで上げられませんでした。水野へは、7月4日に、鳥居燿蔵から小笠原らの報告書と山路の別紙目録が上げられたということです。


<追記その2> 幡崎鼎から借り受けた蘭書、とくに旧約聖書
「渡邊登蘭書一件」からわかるように、当局は崋山所蔵蘭書に禁制のキリスト教教義書があるのではないかと、強い猜疑心と警戒心をいだいていました。
1996年11月、今治市の河野美術館を訪れたとき、崋山の協力者であった蘭学者幡崎鼎にあてた「覚」を拝見しました。それは「三月二日」の日付をもつもので、「蘭書四十巻」の預かり証でした。この貴重な史料の存在をそれまで知りませんでしたが、その後に河野美術館から寄贈をうけた河野信一編『私の今治市へ寄附したる文化財総覧』(昭和47年再版、恒春閣)の下巻1570頁に、写真が掲載されています。「蘭書四十六巻」の内容は分かりませんが、添え書きに「兼(ねて)拝借之品」として蘭書の書名がありますので私に[a]などの記号を付け、この「覚」を以下に翻字してみます。



一 蘭書  四十六巻
右之通受取申候
已上
三月二日
渡邊 登
幡崎鼎様
右蘭書は此度御旅
行御帰之時迄御預
申候云々

兼拝借之品
[a]一 ホウレンドホッケ 弐冊
[b]一 古本地理書
[c]一 ナチウルレイケマートシカッヘイ 一冊
[d]一 マグ子チス用様之書 一冊
 右之外
[e]旧約聖書下置為分
三種
是又□ニ御預申候



[a]の「ホウレンドホッケ」は対応するオランダ語が何としても思いつきません。[b]の「古本地理書」も不明です。[c]の「ナチウルレイケマートシカッヘイ」はオランダ共益社Maatschappij tot Nut van ‘t Algemeen刊行の次の教科書のいずれかでしょう。

『少年向き小講義からなる博物誌略』Korte natuurlijke historie, in leerlesjes voor de jeugd, een school-boek. Uitgegeeven door de Bataafsche Maatschappij: Tot nut van ‘t Algemeen. Leyden, Deventer en Groningen, 1804. 96 pp.
Cf. GBS :
http://books.google.co.jp/books?id=5hUOAAAAQAAJ&pg=PP7&dq=natuurlijk+maatschappij+tot+nut&lr=&as_brr=3

第1講義の題目は「目に見える被造物について」Over de zichtbaare Scheppingとなっています。この章題には、政教分離主義に立つ共和主義的な政府のために追い込まれたオランダ共益社の苦悩が読み取れます。

自然宗教・倫理のための道徳教科書』Zedekundig leerboek tot onderwijs in den natuurlijken godsdienst en zedeleer: ten dienste der scholen. Leyden [etc.], 1812.
Cf. GBS :
http://books.google.co.jp/books?id=AxQOAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=zedekundig+leerboek&as_brr=3#PPP3,M1

[d]の「マグ子チス用様之書」は渡辺崋山旧蔵蘭書(18)で述べた、
[20] 磁石<之>説 Verhandeling over het dierlijk magnetismus 壱冊
かもしれません。

[e]の「旧約聖書下置為分三種」は「旧約聖書下ろし置き為分(しわけ)三種」と読んでみました。「下置」の意味はよく分かりません。幡崎鼎が水戸藩に仕えていましたのでその関係かもしれません。幡崎は天保8年4月に藩より長崎へ派遣されましたので、「御旅行」とはこのことかもしれません。いずれにしても、渡辺崋山が幡崎から「旧約聖書」三種を借用していたことは確かでしょう。

「蘭書四十六巻」「兼拝借之品」いずれも蘭書ですから、「右之外」として掲げられた「旧約聖書」も蘭書と思われます。江戸時代舶載蘭書のなかで、これまで確認できた「旧約聖書」は京都の蘭学者辻蘭室が筆写した『和蘭辞書和解』(京都大学文学部言語教室蔵)に挿入された標題紙1枚のみです。それはルター訳ドイツ語聖書からのオランダ語訳です。
 Biblia. Dat is, De gantsche H. Schriftuer, vervattende alle de Boecken des Ouden en de Nieuwen Testaments. Amsterdam, Christoffel Cunradus, 1671.

崋山が借用していたオランダ語旧約聖書はどのような版種であったのか、それを知る手がかりは今のところありません。


<追記その3>
渡辺崋山旧蔵蘭書(14)で、
[31] 草木禽獣究理日記 欠本 同[小] 壱冊
について、その原書と思われるハル、フローリク、ミュルドル編『自然科学論叢』7巻の国内所蔵先のひとつとして、金沢大学医学部図書館蔵本を挙げました。これは未見ですが、板垣英治『加賀藩旧蔵洋書総合目録』p. 28によれば、「養生所医局蔵」「金沢藩医学館」の蔵書印があり、現在、金沢大学附属図書館自然科学系図書館に4冊所蔵とのことです。この目録は大変な労作ですが、p. 28記載の原書タイトルBijdragen tot de Natuurkundige Wetenschappenの和訳は「物理学的知識の役割」となっており、誤訳です。

また、渡辺崋山旧蔵書(4)で、
[10] 地理書之辞書 欠本也 弐冊
の原書と思われるものとして、ウェイク・ルーランスゾーン(1781-1847)の『世界地理辞典』Wyk Roelandszoon, J. van, Algemeen aardrijkskundig woordenboek. Dordrecht, 1821-1826. 2 delen in 7 stukkenを挙げ、金沢大学自然系図書館の蔵本に言及しました。板垣英治『加賀藩旧蔵洋書総合目録』p. 97によれば、正編、続編計14冊の揃い本であり、「医学館」「長崎東衙官許」印があるとのことです。