渡辺崋山旧蔵蘭書(15)

[33] 政事之書 但右書中ニキリスト之名目有之候得共教法之書とも相見不申候

オランダの抒情作家にして詩人のレインフィス・フェイトRhijnvis Feith (1752-1824)の『テイラー神学協会賞受賞論考』Verhandelingen van Mr. Rhijnvis Feith, bekroond bij Teylers Godgeleerd Genootschap. Haarlem, de Erven François Bohn, 1826. 8vo. (6), 246, (2) pp.
ではないかと思います。

テイラー神学協会はアムステルダムの富豪ピーテル・テイラー・ファン・デル・ヒュルストPieter Teyler van der Hulst (1702-1778)の遺産により、ハールレムの自宅跡に設立された3協会のひとつです。テイラーは再洗礼派の熱心な信者で、神学協会と博物協会と美術協会の3協会を作るように遺言していたのでした。博物協会のコレクションは現在もハールレムのテイラー博物館Teylers Museumに展示されています。

フェイトはオランダ文学史において、18世紀末ヨーロッパのいわゆるセンチメンタリズム(純情主義)をオランダで流行させた作家として位置づけられていますが、本書はテイラー神学協会の懸賞を受賞した論文2本をフェイトの没後に、遺族が出版したものです。

第1論文はVerhandeling ter beantwoording der vraag : Mag en behoort het burgerlijk bestuur eenigen invloed uit t oefenen op zaken van goddinst? ——Zoo ja, —— Van welke aard en uitgestrektheid behoort die invloed te zijn(市民政府は宗教界に影響力を行使することが許されるのか、また行使するべきか、しかりとすれば、その影響力はいかなる質と規模であるべきか。この問題に対する答え)というもので、1797年に銀賞を受賞しました。

オランダは1795年、事実上フランスの支配下に入りました。成立したバタヴィア共和国は翌年8月に政教分離宣言を行います。そういう状況下でテイラー神学協会は上記の懸賞問題を出したわけです。フェイトは分離宣言に反対です。オランダ社会は依然としてキリスト教社会であり、キリスト教政府以外の市民政府は許されない、という立場です。

第2論文はVerhandeling over de noodzakelijkheid van godsdienstige begrippen en praktijken ter bevordering van deugd en goede zeden(宗教的観念および実践が美徳と良俗の助長に必要なることを論ず)というもので、1802年に金賞を受賞しました。

本書は、GBSで閲覧できます。
http://books.google.co.jp/books?id=jKgTAAAAQAAJ&printsec=titlepage&as_brr=3&source=gbs_summary_r&cad=0

その刻版標題紙には十字架を持つ聖女が描かれています。この標題紙が付いたままでは出島を通過できなかったでしょう。剥ぎ取られていたからこそ、本文に頻出するChristus(キリスト)やstaatkunde(政治学)の語がキリスト教の教義書ではないかとの疑惑を招き、目録作成の段階で「キリスト之名目有之候得共教法之書とも相見不申候」との書き込みがなされたと思われます。

最後に蛇足ですが、本書の版元はオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフの『日本回想記』Hendrik Doeff, Herinneringen uit Japan. Haarlem, de Erven François Bohn, 1833.も出しております。