前野良沢使用のビグロトン

前野良沢が「仁言私説」で、「ビグロトン」(「ビクロットン」「ヒグロトン」とも)と呼ぶ辞書は、マルティヌス・ビナルトMartinus Binnartの蘭羅辞典ですが、版種が極めて多く、良沢使用の版種を確定するのに大変手間がかかりました。

2000年4月7日、ブラバント大学神学部図書館で閲覧した次の版が、良沢の引用した例に合致することが分かりました。
    Martinus Binnart, Dictionarium Teutonico-Latinum Novum, Sive Biglotton Amplificatum. Amstelaedam, Rud. & Gerh. Wetstenios, MDCCXIX [1719].  [KU Brabant TFH-A 4265]

ブラバント大学はオランダ南部のティルビュルフTilburgにあり、わざわざこの版を見るためにライデンから出掛けたのですが、見知らぬ土地で、大学図書館から離れた場所にある神学部図書館を苦労して訪ねた記憶があります。まだ「コンピュータ入力が出来ておりません」と親切な図書館員(Anton Van Der Meerさんとおっしゃいました)が申し訳なさそうに応対してくださいました。

ファンデルメールさんが名刺代わりに名前を書いて下さったカードには、「Bibliotheek Theologische Faculteit afd. Uitleen Academielaan 9」(大学通り9番地 神学部図書館貸出部)のゴム印が捺してあります。神学部は廃止され、図書だけが残ったそうです。蔵書カードのおかげで、神学部図書館には古い旅行記が沢山あることがわかりました。コンピュータ検索だけだったらそんなことは分からない、旧式の蔵書カードの魅力です。カトリックの宣教師が世界の果てまで出掛けた宣教熱の時代に読まれた旅行記なのだろうな、と想像しました。

この日記を書くために、昔のノートを久しぶりに取り出しました。すると、初めてオランダに滞在した1989年、私はすでに「ビグロトン」の版種調査をしていました。自分でも忘れていたのです。フランソワ・ハルマの終焉の地、レーワルデンLeeuwardenまで出掛け、ハルマのお墓を探したとき、市立図書館と市立文書館でハルマの出版物を片っ端から閲覧したものです。ハルマ自身の墓はドイツ軍の空襲で教会が焼け、失われてしまったのですが、妻と息子の墓石は郊外の別の教会に使われていました。バスに乗って戦後出来たその教会まで出掛け、やっとみつけた墓石を撮影させてもらいました。

さて、私のノートには、Dictionarium Teutonico-Latinum novum, Sive Biglotton amplificatum. (...) Opera & labore Martini Binnarti. Amstelaedami, Apud Rud. & Gerh. Westenios, 1719. [ A 130 Buma]と市立図書館の請求番号入りで書かれています。そして、自分自身が、「Amstelaedami, Apud Adrianum Wor, & Haered. G. Onder de Linden, 1744.版[A 4072 Buma]と同文」と書き込んでいます。

今、Web上でBiglottonを検索しますと、Open Library でこの1744年版を読むことが出来ます。
http://openlibrary.org/b/OL18083840M/Dictionarium-Teutonico-Latinum-novum
訪書とか訪籍という言葉が好きで、本を求めて旅することがありますが、Web上では「訪書」でなくて「検索」の語感がやはりふさわしく、便利この上ないにせよ、味気ないものです。

私と同じように江戸時代の舶載蘭書をもとめて日本中を歩き回った大先輩に、池田哲朗という学者がおられました。私は蘭学研究の道にはいるのが遅すぎて面識を得ることが出来ませんでした。池田哲朗「本邦における仏(フランス)学の創始」(蘭学資料研究会会報、97号)に、宮城県図書館所蔵「Biglotton sive Dictionarium Teuto-Latinum. 1 vol.」の記載があります。

このBiglottonは科研報告書「宮城県立図書館所蔵伊達文庫蘭書目録」(2003)に記述しておきましたが、タイトルベージ(標題紙)が欠落しており、第1ページに「仙台府学図書」(藩校養賢堂図書)印とHPを組み合わせた洋印が捺されています。見出し標題(第1ページのタイトル)Biglotton Sive Dictionarium Teuto-Latinum Novumの特徴から判断して、アントワープ版Antverpiae, Henricus Aertssens, 1661.のようです。同目録で、誘惑にまけて「本書は良沢の手沢本かもしれない」と書き加えてしまいました。目録のタイトル中、「宮城県図書館」とすべきところを「宮城県立図書館」と誤ってしまったこととあわせて、悔やまれます。

池田哲朗の父、池田菊左衛門は大正9年に宮城県の初代社会教育課長となり、のち宮城県図書館長として活躍された方ということを「池田文庫」(池田哲朗旧蔵書、宮城県本吉町立図書館大谷分館)を訪書して、初めて知りました。2003年正月のことでした。