万香亭のエンゼル観

万香亭は富山藩主で本草学者であった前田利保(1800〜1859)の号です。この号を彫り込んだ瓢箪形の印を捺した「engel」図が伝わっています。明らかに蘭書からの模写図です。原図は空中に浮かぶ二人のエンゼルが左右から何かを支えもっているはずですが、模写図ではその部分が空白になっています。この原図のある蘭書を十年以上探していますが、まだ分かりません。

万香亭が天保弘化嘉永年間に、仲間と回り持ちで開催していた本草博物研究会を「赭鞭会」といいます。赭鞭(しゃべん)は赤いムチの意味です。中国の医薬の神である神農が山野の草木をこのムチでなぎ倒し、その薬効を弁別したという伝説によって、赭鞭の学といえば本草学を指します。

前田利保は天保7年に定めた「赭鞭会業則」において、「赭鞭ノ要ハ品物ヲ弁明シ真贋ヲ審訂シ、其ノ堙晦ヲ達シ、其ノ能毒ヲ覈(アキラ)カニシ、以テ国家ノ用ヲ裨(タス)ケ四方ノ民ヲ救ヒ済フニ在ル事ヲ、是ヲ以テ学ハ博シテ且ツ精キ事ヲ貴フ、博カラサレハ精カラス、精カラサレハ真ナラス」と、本草学が国家と人民のための利用厚生を目的とする実践的な博物学であることを宣言しています。

第一日は「鳥獣蟲魚甲介」、第二日は「種物」、第三日は「金石」、第四日は「生草木」、第五日は「人類水火土」、第六日は「草木」、第七日は「服器」を持ち寄って研究会を開くことも決められています。

会の記録は「赭鞭会業論定品物纂」と名付けられ、会員同士で写し合っています。この記録には「人魚骨」や「龍ノ髭」が絵入りで出てきます。「人魚骨」図には「蘭舶来 ヘイシンムレイーン 俗人人魚骨ト称ル者真偽未決」、「龍ノ髭」には「按此ノ種未詳故ニ姑(しばら)ク俗ノ呼フ所ヲ以テ仮リニ名ク」との説明が付けられ、慎重に判断が留保されています。

「ヘイシンムレイーン」は聞き取りか筆写の間違いで意味不明のオランダ語になっていますが、おそらく元は「ベインハンメールミン」、すなわちbeen van meermin(人魚の骨、の意)でしょう。

「品物纂」はかなり散逸したようで海外にも流出しました。管見のかぎりではエンゼルは論定の対象にならなかったようです。

しかし、万香亭は上記の「engel」図では、中国の漢代小説で異域の怪異を扱った『洞冥記』(郭憲撰とあるが偽作とされる)から小人国の記事を引用して、興味深いエンゼル観を述べています。

漢郭憲洞冥記曰勒畢國人長三寸有翼善言語戲笑因名善語國常群飛往日下自曝身熱乃歸飲丹露為漿丹露者日初出有露汁如珠也
遠西造物者ハ蘭人ノ妄像也、然レトモ四海ノ広大ナル如此者亦無シト言ヘカラス善語国人之説形状畧似タリ因テ之ヲ記ス弘化丙午初冬 「万香亭」(印)

『洞冥記』からの引用は「勒畢国の人々は身長三寸、翼をもち、よくしゃべりよく笑うため、善語国と呼ばれている。いつも群れをなして飛び、太陽の下へ行き身を曝す。体が熱くなると帰ってきて丹露を漿にして飲む。丹露は夜明けに露汁が珠のようになったものである。」という意味でしょう。

万香亭のコメントは弘化丙午初冬すなわち弘化3年(1846)年10月に書かれています。「遠西造物者」すなわち西洋のエンゼルはオランダ人の妄想の産物であるが、世界は広大なのでこういう者がいないとは言い切れない。善語国の人々の話は形状がほぼ似通っているのでここに記した、というわけです。

「赭鞭会業則」でみずから定めた実践的な博物学の精神からすれば、「蘭人ノ妄像」と切り捨ててしかるべきでしょうが、万香亭は中国古典の魅力も捨てがたいという宙ぶらりんの精神状態にあったと思います。