つられて何となく(2) 神戸市立博物館の古地図、石川大浪展

自宅脇の山でも、職場の茂みでも、10日前ぐらいからウグイスが鳴き始めました。まだまだ、幼稚な声。私はこの時期、自宅にこもって仕事が理想なのに、職場へ出かけねばならない日が多い。自宅のウグイスはどうしたのか、この数日、便りがない。職場のウグイスは私がいようがいまいが、茂みに来て鳴いているらしい。

その茂み近くには、「紀元二千六百年記念 職員一同」と刻んだ大石が据えられている。数字の一部は鑿のようなもので潰されている。潰した人間と「職員一同」とどちらがまっとうでしょうか。文字をつぶすのは野蛮と思います。ここで歴史論議をはじめたら、ウグイスが可哀想。

この日記はウグイスの初鳴きのようなもの。初夏まで続けば、すこしは世間並みのブログになっているかもしれません。

昨日、tonsaの由来を書きましたが、先日、神戸市立博物館の「古地図に描かれた世界 アジアと日本」「石川大浪と歌川国芳」を見てきました。この種の展示を見ていつも思うのですが、日本ばかりに焦点があてられすぎでは。西洋古版地図のグローバルな世界から日本だけを取り出して編年的にならべるのではなく、西洋植民地主義の世界的な広がりと日本や東アジアを関連づける視点が欲しい。日本図が切り取られた元のアトラスについて、歴史地理や出版史の観点から分かりやすい説明が欲しい。

しかし、考えてみれば、日本では、日本史、西洋史東洋史などと歴史の教育研究が分断されていますので、現状では無理からぬことかも。展示が教科書に倣うのではなく、教科書を挑発し、批判し、新しい見方を提示する、そんな展示があってもよいのでは。革新的な展示は一般受けしないので、なかなか企画できないかもしれません。

「石川大浪と歌川国芳」展の方は、教科書にはない、新しい視点が見られました。石川大浪も歌川国芳も、一般には知られない忘れられた絵師。蘭学と密接な関係をもった洋風画家大浪の視野の広さ、土俗的な浮世絵師国芳の機転、力動感。国芳の作品がこれほど沢山、一挙公開されたのは初めてではないでしょうか。一見の価値あり。