渡辺崋山旧蔵蘭書(12)

[29] ボイセン(人名)内科書  小本 壱冊

ボイセン『医学の実践』Henricus Buyzen, Practyk der medicine.です。崋山旧蔵本の版種は不明です。
杉田玄白蘭学事始』(1815成)は、中津藩主奥平昌鹿(まさか)が本書を藩医前野良沢に与えた逸事を次のように伝えています。「ボイセン、プラクテーキ抔いへる内科書を求められ、其紙端に御印章押し給ひて、与へ給ひし事もあり」

この良沢の拝領本については、岩崎克己『前野蘭化』(1938)が奥平伯爵家に秘蔵されていた良沢の手沢本を報告しています。岩崎によれば、その手沢本は蘭化の後裔、前野染浦女史から返贈された由緒付きのもので、岩崎所蔵のボイセン原書(Haarlem, Geertruyd van Kessel, 1729)と「正しく同書・同一版」であり、しかも、「巻頭から巻末に至るまでの、殆んど全頁に亙つて、朱筆のアンダーラインやら、欧文竝びに邦文の書入れが、施され」てあったといいます。岩崎はこの「書入れは、蘭化の手に成ったものと断じて、先づ誤りが無いのではなからうか」としています。

しかし、良沢手沢本は「絵標題紙(其処には「ボイセン」の肖像がある。)・標題紙共に脱落して」いたといいますから、岩崎のようににわかに1729年版と断定は出来ません。岩崎所蔵本は、岩崎によれば、16vo, 22 ff.+246 blz.+9 ff.とのことですが、後に述べるように、8vo, 22 ff.+426 blz.+9 ff.の間違いです。246 blz.は印刷ミスと思います。ちなみに、A Short title Catalogue of Eighteenth Century Printed Books in the National Library of Medicine. U.S. Department of Health, Education, and Welfare. National Library of Medicine. Bethesda Maryland, 1979.のp. 73には、Practyk der medicineの第2版(Haarlem, 1717. 426 p.)、第3版(Haarlem, 1729. 426 p.)とあります。

岩崎によれば、良沢手沢本は岩崎所蔵本と違って、「その後に、同じく「ボイセン」の筆になる、全然別個の著述が合綴されて」いました。『人体排泄論』Verhandelinge van de Uitwerpingen des Menselyke Lighaams. Rotterdam, Hermanus Kentlink, 1731. (9 ff. + 191 blz.)という著作です。岩崎は「本書にも蘭化の朱筆書入れの縦横に存することは、前書と異なるところがない。」と記しています。


ボイセン『医学の実践』の諸版をこれまでの調査によってまとめると以下の通りです。
初版(1710): Praktyk der medicine, synde eene korte beschryvinge der meest voorkomende siektens, met haare bygevoegde geneesingen. Haarlem, Wilhelmus van Kessel, 1710. 8vo. 17cm., [XXXIV], 243, [9]. Titel rood-zwart; portret.
この記述は、Catalogus van de Bibliotheek van het Nederlands Tijdschrift voor Geneeskunde. Deel I, 1485-1800. Amsterdam, 1981.によるものです。私は初版未見です。

第2版(1712): PRACTYK / DER / MEDICINE,/ Ofte / OEFFENENDE GENEESKUNDE. / AANMERKINGEN / Over het Menschelyke Bloed en Wateren, / En Geneeskundige / AANMERKINGEN, / DOOR / HENRICUS BUYZEN, / Med: Doct: en Practizyn te Haarlem. / Deeze tweede Druk van de Schryver zelve op / het nieuw overgezien, ende wel de helft / vermeerderd. / Waar bygevoegd eenige / AANTEEKENINGEN, / Door de HEER / THEODORUS JANSONIUS / VAN ALMELOVEEN, / Der Medicinae Doctor, ende derzelver Facul- / teyd, als mede der Griexe en Romeinsche / Oudheden, Taalen, Gebeurteniszen / en Welsprekenheyd, Professor in de / Geldersche Academie te Harderwyk. / TE HAARLEM, / By WILHELMUS VAN KESSEL, 1712.
8vo. (52), 426, (18) pp. With portrait.
手元にこの第2版の原書がありますので、標題紙を転写してみました。縦15.8cm、横11cmの小本です。以前にライデンのMuseum Boerhaave所蔵の第2版[Inst. 1731]を閲覧したことがあります。いずれも『人体排泄論』は含まれていません。

第3版(1729): Practyk der medicine, ofte Oeffenende geneeskunde. Haarlem, Geertruyd van Kessel,1729. 上述の岩崎克己旧蔵本です。アムステルダム大学図書館Online catalogue で検索できます。その頁付け(collatie)はXL, 426, XV p. ;ill. ; in-8となっています。このアムステル大学本も未見です。http://opc.uva.nl:8080/DB=1.1/SET=1/TTL=1/SHW?FRST=3

第4版(1743):ライデン大学図書館蔵本[644 F31]を閲覧しました。以下の標題紙に「met uytwerpingen des menschelyke lighaem vermeerdert」(人体排泄を増補、の意)とありますように、この第4版で初めて『人体排泄論』が付け加えられました。ライデン大学本をすこし詳しく記載してみましょう。
Practyk der medicine ofte oeffenende geneeskunde. Aanmerkingen over het menschelyke bloed en wateren ?[sic] En geneeskundige aanmerkingen. (...) Deeze vierde druk van den schryver zelve op nieuws overgezien, en met uytwerpingen des menschelyke lighaem vermeerdert. Waar by gevoegd eenige aanteekeningen, door (...) Theodorus Jansonius Almeloveen. Rotterdam, Hermanus Kentlink, 1743.
8vo. (32), 426, (16) pp. With portrait.
Bound with :
Verhandelinge van de uitwerpingen des menschelyke ligchaams, bestaande in pis, afgang, zweet, kwyl; en braaking. Waar nevens aangevoegt is, een verhandelinge van de menschelyke gematigtheden, in maatgedigt. Met nog een beschryvinge, van de geneesmiddelen, dienende tot de vyf algemeene wegen van ontlastingen. Door Henricus Buisen, Med. Doct. & S. S. Theol. Candidatus. Derde druk. Rotterdam, Hermanus Kentlink, 1756.
8vo. (16), 191, (7) pp. With frontispiece.

ライデン大学本はこのように『人体排泄論』第3版(Rotterdam, Hermanus Kentlink, 1756)と合綴されています。アムステルダム大学図書館にも第4版がありますが、Online catalogueでみるかぎり、『人体排泄論』は合綴されていません。http://opc.uva.nl:8080/DB=1.1/SET=1/TTL=1/SHW?FRST=6


上述のように、岩崎によれば、前野良沢手沢本は『人体排泄論』(Rotterdam, Hermanus Kentlink, 1731. 9 ff. + 191 blz.)が合綴されていました。したがって、良沢手沢本は岩崎が速断した第3版ではなく、第4版です。岩崎はその合綴の事情について、「装釘の模様から見ると、邦人の手に成つたものではなく、和蘭人、恐らくは発行者自身が、『プラクテーキ』よりも数年後に出版された書物を、何等かの事情で、前者と合本して発売したものに違ひない。」と述べています。これは、岩崎が第4版を見る機会を得なかったので、やむを得ない無理な解釈と言えます。

もっとも岩崎の参考書目にもあげてあるファン・デル・アー『オランダ人名辞典』Vander Aa, Biographisch woordenboek. Deel I en II, A-B, 1852-55.のBuysen (Henricus)項目には、
Praktyk der Mecidijnen. 1729. 8vo, waarvan een 4e druk vermeerdert met Uytwerpselen van des Menschen Ligchaam, later te Rotterdam het licht zag. (『医学の実践』、1729年版、オクターヴォ。『人体排出(論)』を増補した第4版が後にロッテルダムで出版された、の意)との記載があります。岩崎がこの項目を読んでいたとしたら、良沢手沢本の版種を間違えなかったかもしれません。

ボイセン内科書の良沢手沢本の版種にこだわり過ぎかもしれません。昔、今から35年ほど前、京都大学人文科学研究所の助手になりたての頃、退官された桑原武雄先生の前で自分の研究テーマを説明する場面(宴席、しかも二次会だったように記憶しております)がありました。自分が何を申し上げたか覚えておりませんが、桑原先生から「儂(わし)は版種の違いを云々する学問はきらいや」と言われてショックを受けたことを思い出します。今から思えば警世家の先生の言として受け入れておけばよかったと思います。

さて、良沢手沢本の版種に何故こだわるかと言えば、この『人体排泄論』には、吉雄耕牛『因液発備』(文化12、1815刊)、江馬蘭斎『五液診法』(文化13、1816刊)、嶺春泰「和蘭五液論」(写本、成立年不明)、吉田長淑「泰西五診精要」(写本、成立年不明)などの飜訳があり、岩崎が「斯かる飜訳の企てが処々に試みられたとするよりも、矢張り蘭化の僅か一冊の所蔵本が、その学友間に次々に利用されて行つたと観た方が、より穏当な解釈ではないだらうか」と述べているように、いずれも良沢手沢本(またはそこからの筆写本)が底本に使用された可能性が高いからです。

嶺春泰「和蘭五液論」を収録した「蘭畝俶載」巻二の巻頭には、編者の宇田川玄随が「診溺」と題する前書きを寄せ、「蘭化子蔵する所の西医裴生(ボイセン)が著せし書」(原、漢文)によって、嶺春泰が飜訳したものの完成を見ずして早世したことを惜しんでいます。

前野良沢の数少ない門人で晩年の良沢の世話をした江馬蘭斎は、ボイセン内科書を写した頃のことを次のように回想しています。

奥平医師前野良沢、始テ和蘭学読ミ出サレ候様之レヲ承リ、未ダ存命ニテ根岸ニ隠居シ居ラレ候故、ソレヘ参リ対面致シ和蘭訳筌授ケラレ、コレヲ以テ漸々和蘭書ヲ読ムコトヲ得タリ。其頃和蘭内科書ボイセン一巻、始テ渡リ写シ取リ来リ、其レ以後追々渡リ種々書之レ有リ、手ニ入リ申シ候テ治療ヲ為ス事ヲ得タリ。(江馬蘭斎「遺書」、青木一郎『江馬春齢』より)

また、江馬蘭斎にはボイセン『医学の実践』の全訳である『和蘭医方纂要』(文化14年、1817刊)があります。

『医学の実践』の本文は第2版(1712)と第4版(1743)を比較したところ、章立て、部立て、頁付けが一致しております。また、岩崎が『前野蘭化』p. 375で掲げている所蔵本(第3版、1729)p. 27の写真を手元の第2版のp. 27と比較しても、折丁記号(C3)、キャッチワード(hy)を含めて行文も全く一致しておりますので、本文に関する限り、第2版、第3版、第4版の間にテキストの異同は基本的にないと判断してよいでしょう。

『人体排泄論』の初版は、『米国衛生研究所医学図書館所蔵18世紀刊行本ショートタイトルカタログ』
A Short title Catalogue of Eighteenth Cetury Printed Books in the National Library of Medicineによれば、Amsterdam, 1706. 240 p. です。Cf. Online catalog
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?Db=nlmcatalog&Cmd=ShowDetailView&TermToSearch=673223&ordinalpos=7&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Nlmcatalog.Nlmcatalog_ResultsPanel.Nlmcatalog_RVDocSum

第2版はRotterdam, 1731. 191 p.とあります。アムステルダム大学図書館所蔵の初版は、Online catalogueに、Amsterdam, 1706. in-12.とあります。頁数の一致から、第2版(1731)と第3版(1756)のテキストの異同は基本的にないと思われます。

渡辺崋山旧蔵のボイセン内科書が第何版であったか、『人体排泄論』が合綴されていたかどうか、まったく分かりません。しかし、前野良沢手沢本の他に、崋山旧蔵書があったということは、ボイセンが蘭学者仲間で名のある書物であり、第3,第4の舶載本が存在した可能性もあります。

最後に、ボイセンHenricus Buyzen(1678?-1724)にはヒポクラテス『病気の予知について』の蘭訳Hippocrates, Van de voorkenningender ziekten. 3 vols. Haarlem, 1714, 1726, 1741.やシデナム『治病略説』の蘭訳Thomas Sydenham, Brevis morbos curandi methodus. Dat is korte leerwys om ziekten te geneezen. Haarlem, 1714, 1727.; Amsterdam, 1736, 1741, 1746.のあることも触れておきます。

というのも、あまり注目されていませんが、このシデナム『治病略説』蘭訳第4版(Amsterdam, Jan Morterre , 1746. 512 p.)とヒポクラテス『病気の予知について』蘭訳(Amsterdam, Isak Spaan 1741. 58 p.)との合綴本が京都府立医科大学に伝わっているからです(Cf.『京都府立医科大学付属図書館古医書目録』1999、 p. 14)。

この蘭訳本の調査メモ(この古医書目録刊行以前に調査しました)が残念ながら出てきません。記憶では総革製のよく使用された版本で、たしか明治5年開設の「療病院」の蔵書印が捺されていたはずです。江戸時代舶載本としてよいと思います。

江戸時代におけるヒポクラテス受容史を考えるとき、従来は医家の間で神農像とともに流行したヒポクラテス像が注目されてきましたが、近世ヨーロッパで臨床観察と自然治癒を重んじ「イギリスのヒポクラテス」と呼ばれたシデナムの著作と、その源流であるヒポクラテスの著作がボイセンの蘭訳書として舶載されていたことも、無視できないと思います。

渡辺崋山ヒポクラテス、このテーマも調べてみる価値はありそうです。